人生のラビリンス

詩篇25篇

行ったり来たり。確信と不安。前進と立ち止まり。勇気とおののき。今朝のメッセージのために、詩篇25篇を読み、この祈りのことばを思い巡らしているときに浮かんできたのは、そのような、相反する感覚が混ざっている、そのような印象でした。 2節「わが神 あなたに 私は信頼いたします」とても気高い信仰告白に聞こえます。しかし、すぐあとに「どうか私が恥を見ないようにしてください」なんて何だか弱腰と思えるような願いが出てきます。信頼するって言ったのだから、つべこべ言うな!大丈夫だ!そうツッコミを入れたくなるような気がします。「恥を見る」というのは、ユダヤ人独特の表現で、意味は「失望する」ということ。神さまを信頼したのに、期待が裏切られて、失望する、これがここでいう「恥を見る」ということです。ですから「信頼します」と言っておいて、失望させないでくださいと頼むのは、信頼しますけど不安です、そんなはっきりしないトーンを感じる。祈り始めだけではありません。25篇全体にわたって、詩人の思いは、行ったり来たりしている。何か進展があるように思えない。ある説教者は、この詩篇25篇を「まとまりのない祈り」と表現しました。それでは、これはいろんな祈りの継ぎ接ぎのようなものなのでしょうか。そうでもありません。ヘブル語で読むと、この詩篇は一つ一つの行の始まりが、アルファベットの順に始まる「いろは歌」。つまり、詩篇の作者は、この祈りを「まとまりのない祈り」ではなく、これこそが「まとまり」なのだ。この祈りで良いのだと暗に主張しているのです。 (続きは音声でお聞きください)