カテゴリー
祈祷会メッセージとお祈りの課題

神を礼拝する備え

イスラエルの全集団に向かって、言った。「もしも、このことが、あなたがたによく、私たちの神、主の御旨から出たことなら、イスラエル全土に残っている私たちの同胞にいっせいに使者を送ろう。彼らのうちには、放牧地のある町々の祭司やレビ人もいる。彼らを私たちのもとに集めよう。私たちの神の箱を私たちのもとに持ち帰ろう。私たちは、サウルの時代には、これを顧みなかったから
I歴代誌13:2-3

I歴代誌13章と、15章には、ダビデが神の箱=契約の箱をエルサレムに運ぼうとする様子が描かれています。しかし13章の時は、ウザの割りこみと呼ばれる出来事があり、箱をエルサレムに持ち帰ることに失敗します。この記事はIIサムエル記にも並行記事がありますが、どちらも神様のメッセージを読み解くには難しい箇所かもしれません。なぜウザは罰せられたのか、現代の私たちには直感的に分からないからです。

イスラエルが他国と戦争状態にあった時、イスラエルの民は、神の箱が戦場にあれば勝てるのではないかと勝手に解釈しました。しかし結果は散々で、戦場へ運び出された神の箱は、敵国に奪われてしまいます。神の箱はその後、敵国をうろうろした後、キルヤテ・エアリムのアビナダブの家に戻ってきて、20年以上そこに留まりました。I歴代13:3にあるように、サウル王の時代には、イスラエルの民は神の箱を顧みることはありませんでした。神の箱がどんな物であるのか、イスラエルの民は心得ていなかったと言えます。ダビデはその神の箱をエルサレムに運び込もうとしますが、ダビデ自身も神の箱について勉強不足で、失敗してしまいます。15章ではダビデは改めて神の箱を運ぶために入念に準備し、レビ人だけが担いで良いということにたどり着きます(I歴代15:2)。こうして神の箱はエルサレムに運び込まれたのでした。

歴代誌が書かれた背景は、バビロン捕囚の民がエルサレムに戻り、新しく神殿を再建し、真の神様を礼拝する民を再形成していく、そのような時代でした。かつて神殿があった時、あるいは神殿が再建されるまでの間に何があったのか書き記し、真の神を礼拝するとはどういうことかを教えようとしています。サウルが何をないがしろにしてしまい、ダビデがどう神様に立ち返り、レビ人たちがどのような役割を担っているのか描き出そうとしています。神の箱は神様の臨在を示す最も大切なものです。それをイスラエルの国の中心に据えるということは、イスラエルは真の神様を中心に据えた国であるという事です。また王であるダビデも神の箱を自由に用いて良いのではありません。神様は誰にも縛られることのないお方であり、レビ人、祭司たちがそのしもべとして、神様と民の間を取り持つ役目を担っています。

神の箱はバビロン捕囚の時に失われてしまったと言われています。その後、神の箱がどこに行ってしまったのか、誰にもわかりません。おそらくバビロン捕囚を終えて、神殿を再建した時には神殿の中心に神の箱は無かったことでしょう。しかし神殿の再建の時に、この物語を聞いた民は、神殿で礼拝するにあたり、どのような心で礼拝をすればいいのか心に響いたと思います。現代の私たちも神殿や、神の箱といった物は無い中で礼拝していますが、心構えについては考えさせられます。神様を中心に据えた真の礼拝を、これからも目指していきたいと思います。

お祈りの課題
  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 6-7月に新しく来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • VBS、キッズフェスタ、FMTCのために
  • 甲斐師CGNTV撮影のために
  • 守谷教会のために