神様が愛してくださったから、互いに愛し合う

私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
Iヨハネ4:19

ヨハネの手紙に入りました。ヨハネの手紙を記したヨハネは、バプテスマを授けていたヨハネではなく、漁師だったゼベダイの子ヨハネです。お兄さんのヤコブと共に、イエス様によって12弟子に任命されました。ゼベダイの子ヤコブとヨハネは、よほど気性が荒かったのか、「ボアネルゲ、雷の子(マルコ3:17)」というあだ名で呼ばれていました。イエス様と旅を続けていくうちにヨハネは変えられていき、とても穏やかな愛にあふれた人になっていったと言われています。そんなヨハネが「互いに愛し合いましょう(Iヨハネ4:7)」と勧めているのがヨハネの手紙です。

ヨハネは、神の本質は愛であり、全き愛は神様から出ていることを語っています(7-8節参照)。神様は私たち一人一人を愛し、大切に思っています。そのため、私たちが罪のゆえに滅びてしまう事をなんとしても避けたいと思いました。そこで神様の独り子である救い主イエス・キリストをこの世に遣わしました。キリストは私たちの罪の咎をすべて背負って、代わりに滅びを受けてくださったのです。私たちはこのキリストの救いのゆえに、滅びではなく、永遠のいのちを与えられました。このキリストの救いの業の内に、神様の愛が表されています。神様ご自身であるキリストがその身を犠牲にして、私たちにいのちを与えて下さっているのです。キリストの愛は、犠牲愛であると言われるゆえんです。

よくある勘違いですが、まず最初に私たちが神を信じたから、神様は私たちを救って下さったのではありません。私たちが神を知らず、あるいは神様の敵として歩んでいた時から、キリストは十字架に架かって下さいました。私たちが神様を信じる前から、神様は私たちの救いの道を用意してくださっていたのです。私たちが神様を慕って行こうと思う前から、神様はその身を犠牲にするほどに、私たちを愛してくださっていたのです。私たちはこの神様の愛を知った時、本当の愛とは何なのか理解できるようになると思います。理屈で犠牲愛が素晴らしいと知っているよりも、実際に神様からの愛を受けたとき、私たちはその愛の深さを理解できると思います。

このようなキリストの深い愛を受けている私たちですから、私たちもキリストに倣って互いに愛し合いましょうということをヨハネは勧めています。ヨハネは、自分自身がイエス様の愛によって変えられた人であったので、イエス様の愛のすばらしさをよく知っていました。だからこのような素晴らしい手紙が残せたのだと思います。イエス様の愛、神様の愛が私たちに注がれる時、私たちは互いに神様の愛によって、愛し合う事ができるようになります。互いに愛し合う私たちのうちには、神様も共におられ、神様の愛のすばらしさと栄光が、周りにいる他の方々にも表されていくという事をヨハネは語っています。互いに愛し合う私たちの姿を通して、全ての人が、神様の愛のすばらしさを知ることができるということです。そしてヨハネのように、いつも怒っているような雷の子から、穏やかな優しい愛の人へと変えられていきます。このような神様の愛を、これからも私たちは受け取り続け、神様の愛によって互いに愛し合っていきたいと思います。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 8-9月に新しく来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 女性リトリート、大掃除、牧師一泊親睦会、合同宣教祈祷会のために
  • 南大沢チャペルのために