わたしが神だ。ほかにはいない。

あなたがわたしの命令に耳を傾けてさえいれば、あなたの平安は川のように、正義は海の波のようになったであろうに。
イザヤ48:18

 

イザヤ書は40章から少し毛色が変わります。神様の救いや癒しが強調されるようになります。そして53章には有名は「苦難のしもべ」と呼ばれ、キリストの十字架の預言とも言える言葉があります。今日は48章を開きましたが、この前後では神様が「わたしが神である。ほかにはいない。」というような言葉をたくさん語っています。これだけ言われれば、誰でも理解できそうではありますが、何回言われても心の底から納得するのは難しいテーマでもあります。

47章にはカルデア人という言葉が出てきました。カルデア人とはバビロニア人のことです。イスラエルの民はイザヤの活動の後、バビロニアに捕囚の民として連れて行かれます。バビロニアの歴史はとても古く、多くの知恵や技術がありました。それらは他の国々に誇れるほどであったことでしょう。彼らはそれらの知恵や技術や、占星術、聖書によれば「呪文」や「呪術」を用いて、自分たちの国を治めていました。今の時代からすればそれらがどれだけの科学的根拠があったか分かりません。しかし彼らにとっては、国の方針を左右するに十分な根拠のあるものでした。

しかし神様はそれらを俯瞰されてこう言われます。「このわたしが地を造り、その上に人間を創造した。このわたしが手で天を延べ広げ、その万象に命じたのだ。(イザヤ45:12)」神様はこの天地の全てを造られた神様です。神様は天地を創造された時に、他の神々をお造りになったでしょうか?神様が天地をお造りになった時に、神様の知らない宇宙を支配する法則、呪術ができてしまったでしょうか?神様は言われます。「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。(イザヤ45:22)」「わたしはあなたの神、主である。わたしはあなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。あなたがわたしの命令に耳を傾けてさえいれば、あなたの平安は川のように、正義は海の波のようになったであろうに。(イザヤ18:17-18)」

神様の理屈は単純明快です。しかしこの単純なことを信じることが私たちにはとても難しいことのように思えます。私自身のことで言えば、私は何か買い物をする時、損をしたくないと強く思います。少しでも良い物かつ、安く手に入れたいと思います。だから高い物であればあるほど、本当にありとあらゆる手段を使ってリサーチします。インターネットで検索する回数、数知れず。ニュース、テレビ、雑誌、何でもキーワードが目に着いたら調べます。同じような商品が無いか確認し、とにかく比較します。そういうことをすれば、納得のいく買い物ができると思っているからです。そして何か月も、時には何年もかけて一つの商品を買います。そして納得できたかと言えば、どうでしょう。確かなのは疲れ果てるということです。「助言する者が多すぎて、あなたは疲れている。(イザヤ47:13)」の言葉どおりです。

世の中は知恵の多さ、技術の確かさが私たちを納得させる、平安にすると考えます。技術の発展は私たちを豊かにします。しかし平安は別の所から与えられます。いのちある者に平安を与えることができるのは、いのちとは何かを知っている者だけだからです。知恵、法則、技術、呪術にいのちはありません。私たちの平安は神様だけが与えてくれます。「わたしが神だ。ほかにはいない。」のです。私たちの心の奥底に神様を置きましょう。私たちの平安は神様の内にあるのです。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集っておられる方々、ご家族のために
  • 9-10月に初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 宣教礼拝、子ども祝福式、交換祈祷会、合同宣教祈祷会のために
  • 日本青年伝道会議のために
  • 小金井教会のために