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祈祷会メッセージとお祈りの課題

厳粛な神様の言葉

そこであなたは、同行の人たちの目の前でその瓶を砕いて、彼らに言え。『万軍の主はこう言われる。陶器師の器が砕かれると、二度と直すことはできない。このように、わたしはこの民と、この都を砕く。人々はトフェトに空き地がないまでに葬る。
エレミヤ19:10-11

 

預言者エレミヤが活動した時代は南ユダ王国の末期です。神様は南ユダ王国をバビロニアの手に渡すことを固く決めておられ、それが起こるのが目前に迫っていました。エレミヤは「ユダの人々をバビロニアの手に渡す」という神様の言葉をストレートに語らなければならなかったので、多くの同胞のユダヤ人から嫌われ、迫害を受けました。20:2には祭司パシュフルに捕らえられ、打たれたことが記されています。エレミヤは神様の言葉を正確に伝えるという正しいことを行っているにも関わらず、悪者のように刑罰を受けていました。20章にはそのエレミヤの悲痛な叫びが記されています。20:14以降には「私の生まれた日は、呪われよ」という自分は生まれなければ良かったのではないかという言葉が記されています。尋常でい困難を受けたヨブも3章で同じようなことを語っています。もしかしたらエレミヤはヨブに自分を重ねていたのかもしれません。

南ユダの王はヨシヤ王の後、目まぐるしく入れ替わります。エホアハズ(シャルム22:11)が3ヶ月、エホヤキム(22:18)が11年、エホヤキン(エコンヤ22:24)が3ヶ月と10日、ゼデキヤが11年で南ユダ王国は陥落します。神様はこのようにして南ユダ王国を破壊することを決めていました。神様はそれを示すためにエレミヤに町の門のところで、焼き物の瓶を砕いて示すように言います。焼き物の瓶は一度壊れると、元には戻りません。パズルのピースのように元の形に復元できても、穴はふさげないので前のようには使えません。この砕けた瓶を通して、神様は南ユダ王国に対する裁きの確実性と恐ろしさを示しています。

しかし神様は神様が選んだイスラエルの民を完全に滅ぼしてしまおうとはされませんでした。一つ前の章の18章では、神様はエレミヤを陶器師が粘土を使って器を制作しているところを連れて行かれます。陶器師は一度器の形を仕上げますが、気に入らなかったのか、もう一度粘土を練り直して器を作り直しました。神様はエレミヤに言います。「イスラエルの家よ、わたしがこの陶器師のように、あなたがたにすることはできないだろうか(18:6)」神様は南ユダ王国を破壊することを決めていましたが、それはもう一度、イスラエルの人々を練り直すためでした。バビロニアがユダの人々を捕囚の民として連れて行くことも、神様の計画のうちに含まれているのです。22章には、シャルム、エホヤキム、エコンヤの王たちに災いが預言されています。どれも悲しい預言です。しかしエコンヤに対する預言には、バビロンの王ネブカドネツァルがエコンヤをバビロンに連れて行くことが書かれています。エコンヤはエルサレムに帰ることは出来ませんが、その地で生き延び、彼らの子孫は再びエルサレムに帰ることになります。そしてもはやイスラエル王国としての王座につくことはありませんが、ダビデの血筋は絶たれず、その子孫としてイエス・キリストが生まれることになります。この時すでに神様はそこまで計画をなさっているのです。神様の言葉はどのような言葉であっても、必ず語られた通りになります。人間はその計画の全てを見通すことは出来ません。しかし神様が私たちに対する愛をもって計画を立てておられることを信じたいと思います。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 10-11月に初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • クリスマス礼拝、洗礼式、祝会、キャンドルサービスのために
  • 新年度計画のために
  • 南平教会のために