主にある日常(苦しみの中にあっても)

ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。
Iテサロニケ5:11

テサロニケ人への手紙に入りました。テサロニケ人への手紙は2通、聖書に収められています。パウロがほぼ同時期にテサロニケの教会に宛てて書いた手紙と考えられます。テサロニケ教会の始まりについては使徒の働き17章に記されています。パウロは2回目の宣教旅行の時にテサロニケの町に行きました。そこで3週にわたって安息日にユダヤ人の会堂でイエス様の救いについて語りました。その時イエス様を信じて救われた人々がテサロニケ教会の始まりです。しかしその時、反対したユダヤ人たちもいました。反対したユダヤ人たちはパウロを迫害しようとしましたが、見つからなかったので、ヤソンという人の家を襲ったことが聖書に書かれています。パウロの身を案じたテサロニケ教会の人たちの案内でパウロは別の町へ行く事を余儀なくされました。パウロはその後、テサロニケ教会の人々を案じ、手紙をテモテに託しました。パウロはその後も、多くの町で迫害を受けます。そしてテサロニケ教会の人々も迫害を受けることになるだろうと予期し、励ましの手紙を書いたのです。

パウロはテサロニケ人への手紙の中で、テサロニケの人々の信仰をほめて喜んでいます。まだ始まって間もない教会でしたが、迫害の始まる中、信仰を堅く守っていました。そのニュースは他の地域にある教会の励ましにもなっていることを書いています。そして苦難は今後も続くであろうことを記し、その中にあっても信仰を堅く保つようにと励ましています。テサロニケ教会の人々が味わっている苦難は、パウロも経験していることであり、おそらくすべてのクリスチャンが何らかの形で経験するものです。もし自分たちだけが迫害を受けていて、他のクリスチャンにはその辛さがさっぱり分からないということであれば、私たちは信仰を守り抜く事ができないであろうと思います。しかし同じように苦しみを受けている兄弟姉妹がいると、共に分かち合い、祈りあう事ができます。1人では信仰を守れなくとも、兄弟姉妹と一緒であれば信仰を守り抜く事ができるのです。

パウロは5章で終末の日についても少し触れています。終末の日には激しい苦しみの時が来ることが聖書に記されています。しかしそれらの苦しみがどのようなものであるか具体的には記されていません。またその日は突然来るということが語られています。いつ、どんなことが起こるか分からないと私たちは不安になります。しかしパウロは、クリスチャンにとっては、その日が盗人のように襲うことはない(5:4)と教えています。それはクリスチャンには具体的に事情が説明されているからではなく、神様が私たちを主イエス・キリストによる救いを得るように定めている(5:9)からだと言います。たとえ苦難の中にあっても、終末の日が来たとしても、神様が私たちを救いに定めて下さっているから大丈夫なのですとパウロは語っているのです。私たちはそれほどまでに神様を信頼しているでしょうか。ルターは「たとえ明日世界が滅びようとも、私はリンゴの木を植える」と言いました。それはたとえ明日世界が終ろうとも、いつも通り神様と共に過ごすということです。パウロも言います。「ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい(5:11)」クリスチャンはこの地上で何をして過ごすでしょうか。神様を愛し、人を愛することです。ではクリスチャンは天国で何をして過ごすでしょうか。神様を愛し、人を愛することです。この地上においても、天国においてもクリスチャンがすることは同じです。それはこのように言い換えることもできるかもしれません。天国で私たちが受ける幸いが、地上生活にある時からすでに始まっているのです。私たちもそのように神様を信じ、感謝して過ごしてまいりたいと思います。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々、求道中の方々のために
  • 代議員総会、野尻師感謝会&宣教祈祷会のために
  • みずほ台教会のために