イエス様の権威を信じる

「しかし、愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。」
ユダ20

ユダの手紙を開きました。ユダの手紙は1章だけの短い書です。ユダの手紙の著者についてですが、1:1に「イエス・キリストのしもべ、ヤコブの兄弟ユダから」とあります。イエス様の12使徒には、ユダという名前の弟子が2人いますが、そのどちらでもなさそうです。手紙の著者は「ヤコブの兄弟」と言っていますし、ユダ17ではあたかも手紙の著者と12使徒は別人であるかのように書いているからです。イエス様の兄弟にはヤコブ、ユダという名前の人物がいることから、この手紙の著者はイエス様の弟のユダであると考えられます(マタイ13:55参照)。

ユダは最初、救いについて手紙を書こうと考えていましたが、信仰を守る戦いのために励ましの言葉を送る必要が出てきました(3節)。4節では不敬虔な者たちが忍び込んできたと書いています。彼らはイエス・キリストを否定して、自らの欲望のままに生きていると書かれています。ぶつぶつと不満を並べたて、大げさなことを語っていると書かれています。ユダは、手紙の読者が彼らに影響されて、信仰を失ってしまわないようにと書いています。ユダによれば、彼らが不敬虔に生きるのは、イエス・キリストの権威を認めていないからです(8節)。イエス様は私たちを愛して、救い、守ることができるお方です。私たちの救い主であるという事は、私たちを救うために十分な力と権威を持っておられるという事です。それは神様としての権威、力です。不敬虔な者たちはイエス様の権威、神様の権威を侮っているのだとユダは語ります。

ユダの手紙には旧約聖書正典の中にない記述からの引用がいくつか見られます。14-15節のエノクの預言に関する記述はエノク書に記されている言葉と考えられています。エノク書はエチオピア正教会では正典に含まれているようですが、旧約聖書には納められていません。また9節のミカエルと悪魔が言い争っているという出来事は、モーセの昇天(遺訓)という書物からの引用と考えられています。こちらはまだ全編が残っている資料が見つかっていません。伝承によれば、モーセの死後、モーセの犯した罪について、悪魔がモーセの体を引き渡すようにミカエルと言い争ったという事です。その時、ミカエルは汚い言葉を用いず、神様の権威の許、モーセの体の引き渡しを拒んだという事です。ユダの手紙はイエス様の権威、神様の権威について書いていますので、このような記述が引用されたと思われます。

神様は目に見る事ができず、その声を耳で直接聞くこともできません。ですから神様の権威、神様の力がどの程度、私たちに及ぶのか分からなくなる時があります。しかし私たちは神様の権威、力を信じて堅く信仰を守りたいと思います。神様は聖書の中においても、またその後の歴史の中においても、多くの兄弟姉妹を守り、助けて下さいました。24節でユダが言うように神様は、私たちを「つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びとともに栄光の御前に立たせることができる方」です。自分たちの内側の誘惑や、外側からの誘惑に負けることなく、信仰の生涯を歩ませて頂きましょう。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々、求道中の方々のために
  • 懇談会、南平教会との合同交流会のために
  • 青年バーベキュー、CS教育セミナーのために
  • 南大沢チャペルのために