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祈祷会メッセージとお祈りの課題

律法の務め、御霊の務め 2020年9月2日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌218 汚れと辱との

動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌136 御霊よ降りて

動画をアップロードして下さっている方に感謝します。

聖書

石の上に刻まれた文字による、死に仕える務めさえ栄光を帯びたものであり、イスラエルの子らはモーセの顔にあった消え去る栄光のために、モーセの顔を見つめることができないほどでした。そうであれば、御霊に仕える務めは、もっと栄光を帯びたものとならないでしょうか。

IIコリント3:7-8

メッセージ

通読はコリント人への手紙第二に入りました。第一と同じくパウロがコリントの教会に宛てて書いた手紙です。時期も第一から1-2年後に書かれたものと思われます。聖書にはコリント人への手紙は2通納められていますが、多くの学者が第一と第二の間にパウロは少なくとももう一通の手紙を書いているのではないかと言っています。それはIIコリント2:4で触れられている「涙の手紙」と呼ばれる手紙です。第一の手紙は激しい非難する内容の手紙であり、その後、「大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに(IIコリント2:4)」書いた手紙が送られました。もしかしたらその他にも手紙を書いたかもしれませんが、これらによってコリントの教会の人々が悔い改めたという知らせがパウロに届きました。その後、この第二の手紙が記されたと考えられています。

3章でパウロは文字に仕える者と、御霊に仕える者について書いています。聖書の律法の言葉(文字)は、私たちに神様のことを教えてくれます。神様の愛について教えてくれます。よく言われる事ですが、新約聖書は優しさと愛をにあふれた神様を想像しやすいですが、旧約聖書の神様はとても厳しく、失敗を赦さないように見えます。これは新約、旧約双方に書かれている教えから受ける印象もあるかもしれません。新約聖書は互いに愛し合いましょうのように、積極的で優しさを追い求める雰囲気があります。旧約聖書にある教えは、「~をしてはならない」のように、禁止条項が多く消極的です。また律法を破った時の刑罰についても多く記されていて、失敗が赦されないように感じます。パウロはそのような特徴を2:9で「罪に定める務め」と「義とする務め」と表現しています。言うなれば旧約聖書は「何が罪か」について書かれている書物であり、新約聖書には「神様が罪人を救うこと」について書かれている書物です。どちらかが大切という事ではなく、両方とも聖なる、栄光ある教えであり、両方揃って神様の御心を表しています。

神様が罪人を救うことには、救われた人が今後、正しく歩めるようになることも含まれています。どのようにして神様は人を正しく生きる事ができるようにしてくださるのでしょうか。それは書かれた文字によって人に教えると言う形ではなく、神様の霊、御霊を人に注ぐことによってです。神様は御霊によって私たちをキリストに似た者へと造り変えて下さいます。2:18に「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」とある通りです。私たちは自分の力では正しく生きる事が難しいかもしれません。しかし神様が神様の力によって私たちを造り変えて下さいます。私たちが自分を神様に明け渡し、委ねていく時に、神様が私たちを造り変えて下さいます。コリントの人々はパウロの手紙に刺激され、深く悔い改めて自分を神様に明け渡しました。神様はコリントの人々を御霊によって造り変えて下さいました。私たちも自分を省み、明け渡し、神様に造り変えて頂きましょう。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 今後の礼拝、祈祷会の導きのため。主の最善が成されるように
  • 教団中高生集会FMTZ、教団委員長会議のために
  • 南平教会のために

賛美 新聖歌397 神の御子にますイエス

https://youtu.be/Epe1E8D8xjs

主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)