カテゴリー
祈祷会メッセージとお祈りの課題

自らを捧げ、神様の御業に参与する 2020年9月9日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌324 主と主の言葉に

動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌341 恐れなく近寄れ

動画をアップロードして下さっている方に感謝します。

聖書

そして、私たちの期待以上に、神のみこころにしたがって、まず自分自身を主に献げ、私たちにも委ねてくれました。

IIコリント8:5

メッセージ

IIコリント8-9章には献金についての教えが書かれています。今回は献金について考えたいと思います。注意して頂きたいのは、パウロも手紙の中で「私は命令として言っているのではありません(8:8)」と言っているように、これは命令ではありません。今現在の経済的事情は人それぞれであると思います。実際に、いくら捧げるのが正しいとか、いくら捧げた方が素晴らしいという事ではなく、献金の本質は何かという事を考えて頂ければ幸いです。

コリントの教会はエルサレム教会への献金を捧げようとしていました。ところが何か問題があったようで、思うように集まらなかったようです。そこでパウロはコリントから海を挟んで向かい側の地域、マケドニアの教会たちの例を挙げています。マケドニア教会は喜んで「自分自身を主に献げ(8:5)」、献金をパウロたちに託しました。献金の本質は神様に自分をささげることです。献金という呼び方をしていますが、献身と言った方が本質的な意味を表すことができるかもしれません。献金のモデルはキリストだからです。8:9でパウロは「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。」と書いています。キリストは栄光に富む神であられたのに、私たちを救うために貧しくなられました。そして十字架の死によって、自らの全てを捧げられました。そのキリストの捧げ物のゆえに、私たちは救われて、キリストの恵みに満ち溢れています。ですから私たちも神のために、他の人のために何かをしたいと思うなら、それはキリストの思いの現れです。キリストの愛がそうさせて下さっています。私たちは神のために、他の人のために何かをしたいなら、自分自身を神に捧げ、他の人に捧げる決意をしましょう。

神様は献金の額ではなく、私たちの思いを見られます。コリント教会も初めは自らを捧げる純粋な思いから献金を始めたのだと思います。ところが何か問題が発生し、思っていた額が集まらなかったのかもしれません。パウロは8:11-12で、額の問題ではなく、神様は思いを見られるから、今ある物に応じて捧げ、やり遂げなさいと勧めています。神様は無からこの世界を生み出すことができるほど、祝福に満ちた方です。ですから本来人からの施しや捧げ物を必要とはしません。神様はただ私たちの献身の思いが確かであることを見たいのです。神様は私たちからの献金を祝して献金額以上に用いる事ができます。小金井教会が始まる時、ミリカン師は母国アメリカの教会に支援献金を求めました。アメリカの教会の方々が持っている物に応じて捧げて下さった献金は2,365ドルでした。その後、小金井教会のために土地を探しました。ある土地に来ると、ミリカン師は神様からこの場所であると示されたそうです。ミリカン師が土地の所有者に価格を尋ねると、米ドルに換算すると、2,364ドル数セントだったそうです。アメリカから捧げられた献金とほぼ一致しました。このようなことは神様の計画であれば、良く起こることです。最近では昭島教会の会堂のエアコン工事も、捧げられた献金額とほぼ一致しました。神様は献金額に応じてではなく、私たちの思いに応じて御業を行われます。献金は私たちがその御業に関わる一つの手段です。キリストの救いの業に感謝し、自らを捧げ、神様の御業に参加させて頂きましょう。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 教団青年集会TTQのために
  • 宣教地のために
  • 守谷教会のために

賛美 新聖歌392 主の愛の汝が内に

主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)