・・・牧師から・・

私の息子が小学生の時、友達からきかれたそうです。「君のお父さんは何の仕事をしてるの?
いつもお家にいるけど、どうして? 会社には行かないの?」と。
息子の友人たちには牧師の仕事がきっと不思議に思えたのでしょうね。
(ひょっとしたら息子自身もわかってないかもしれません・・)                
                                                          
あなたも、「キリスト教会ってどんなところなの?」「クリスチャンは何を信じているの?」と、
素朴な疑問を感じておられるかもしれませんね。
そこでわかりやすくQ&A形式でわかりやすくお答えしたいと思います。
気軽にお読みになっていただければ幸いです



初めてのこのHPに来てくださった方に

私たちのキリスト教会をご紹介いたします









































   1 キリスト教会ってどんなところなの? 


キリスト教会は、イエスキリストを救い主と信じる人々がともに集って礼拝をささげ、聖書を学び、互いに励まし合う、信仰の共同体です。聖書は、わかりやすく「信仰の家族」「仲間」と表現しています。新約聖書が書かれたギリシャ語では、「エクレシヤ」・・・神様によって召し集められた人々の群・・・という意味をもっています。神様が永遠の愛をもって選び、招いてくださった人々の群というすばらしい意味です。


  2 教会はいつも何をしているのですか?

 
日曜日の午前中に、教会では礼拝がささげられます。礼拝はクリスチャンだけが集まって宗教的儀式を行う場ではありません。初めて教会に来られた方々はほとんどが 、日曜日の朝の礼拝に最初に出席されています。ですから日曜日の朝の礼拝はすべての方々にオ−プンにされています。お気軽にお越しくださればうれしく思います。 日曜日の朝、10時30分から11時45分までが礼拝の時間です。

開始とともに、1)讃美歌が歌われます。2)続いて1週間の恵みと守りに感謝の祈りがささげられます。3)聖書から牧師のお話を聞きます。 新しい1週間の生活のため、心の力と導きをいただきます。4)月に1度は聖餐式がもたれます。聖餐式は世界中の教会で2000年間にわたって守られています。キリストの十字架の身代わりの死と復活を記念してパンと葡萄酒をいただくキリスト教礼典です。


平日には、次のようなさまざまな集いが開かれています。

聖書を楽しく学ぶ会が水曜日(夜7時)と火曜日(午後1時30分)に開かれています。特に火曜日のクラスは女性を中心にし、子育てや介護などのテ−マでも話し合います。ランチを一緒に食べてゆっくりと楽しく語り合います。赤ちゃんや小さなお子さまも御一緒にお越しください。

初めて聖書をわかりやすく学びたいと願われる方々のために「聖書入門クラス」が、希望者の希望する時間にあわせて開かれています。ご遠慮なくお申しこみください。

カウンセリングに関心のある方には「カウンセリングクラス」が開かれています。

聖書の舞台となっているイスラエルについて関心のある方には「ハイナイト・イスラエルのために祈る会」が月に1度開かれています。

「エホバの証人(ものみの塔冊子協会)」に加入しているご家族や友人の救出を願われる方々をサポ−トするための会として「エホバの証人対策研究会」があります。元エホバの証人たちが中心になってお手伝いをします。組織の教理ではなく、聖書の真理を求めておられるエホバの証人研究生の方々も一度、お越し下さい。ご一緒に聖書を正しく学びましょう。




   3 聖書は何を教えているのですか?

聖書は永遠のベストセラ−と呼ばれ、たくさんの人々に親しまれ読まれています。教会ではみなさんが聖書を 正しく学び、聖書の世界のすばらしさを知っていただくことを大きな喜びとしています。

聖書は、愛の神様から差し出されたあなたへの「愛の手紙」です。聖書には、神様の深い真実な愛が記されています。もしあなたが人生で真実な愛を探し求めておられるなら、聖書の中にその愛をきっと見いだすことがおできになることでしょう。もし、あなたが愛に渇いて淋しいさや孤独を感じておられるなら、聖書を通して、あなたがどんなに神様から愛されている尊い存在であるかきっと発見されることでしょう。

ですから、聖書は「なになにしてはならない」という規則集でも、「なになにすべきである」という道徳の本でもありません。あなたが恵み深い愛の神様を発見するためのすばらしい書物なのです。

旧約聖書を通して、人類に対する神様の救いの御計画と救い主がお生まれになるという預言を学びます。創造主である永遠の神が永遠の愛をもってあなたを愛して下さっています。これが、神様からの最大のメッセ−ジです。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)

新約聖書を通して、私たちはイエスキリストの御生涯とその教えを学びます。神の御子が十字架にかかり身代わりとなって死なれ、私たちの罪を償って下さった。そして3日目にお約束通l復活されて永遠のいのちに至る道を確かめてくださった。この大きな喜びの知らせを、GOOD  NEWSと言います。この喜びの知らせを聴くことから信仰は始まります。

礼拝では「ルカの福音書」を継続的に学んでいます。毎日ラジオでのキリスト教番組が放送されています。 また日曜日の朝には、キリスト教テレビ番組も放送されていますので、有意義に活用して見て下さい。


   4  聖書をどんなふうに教会では学べますか?


日曜日の朝の礼拝(朝10:30)と夜の礼拝(夜7:00)にお越し下されば、わかりやすい聖書の学びができますので、お勧めします。

「聖書入門クラス」に申し込んでくだされば、個人的な質疑にもお答えしながら学びを進めることができます。随時、8回コ−スで開きますのでお申しでください。

宇治教会では「図書室」が充実しています。信仰の良書の他、キリスト教関係の小説、児童書、図鑑、雑誌、ビデオ、テ−プなどが揃えてありますので、ご自由にご利用下さい。

ご家庭でも、キリスト教ラジオ放送、キリスト教テレビ放送もあり、たいへん好評です。



   5 クリスチャンになったらどうなるの?

イエス様を救い主と信じる人々をクリスチャンと呼びます。日本では、カトリック教会とプロテスタント教会をあわせて約100万人がクリスチャンです。クリスチャンの数は全人口のおよそ1%にすぎませんから、あまり目立たないかもしれませんね。

さて、クリスチャンになったからと言って特別な人間に変身し、特別なことを始めるわけではありません。今までどうり、家族を大切にして、仕事に誠実に励み、周囲の人々とのあたたかい人間関係を大切にして、感謝の心で落ち着いた生活を心がけます。ですから宗教的な布教活動・勧誘活動に動員されて外出を繰り返したり、お金をつぎつぎと宗教的御利益を求めてつぎ込むようなことはありません。クリスチャンは聖書の教えに従い、ひとりの社会人としても健全な生活を志していますから、非社会的な生活態度に陥ってしまうようなことはありません。

このようにクリスチャン生活の中心は、神様の恵みを喜びつつ生きることです。神様を愛する喜びが心にあふ れてきますから、神様を讃美し、神様への礼拝をささげ、神様を中心とする新しいライススタイルが自然に身に付いてきます。ですから今までのような自己中心・欲望中心の生活が徐々に変化してきます。



  6 完全な人にはなれそうにないけど、それでもいいの?

それでいいのですよ。「完全無欠な人間にならなければならない」と思えばしんどくなるし、なにより自分にウソ をつく生き方になってしまいますね。ですからありのままのあなたでいいのです。なぜなら、欠点だらけ、失敗だらけ、そんな罪深い私たちのために神の御子イエスキリストが十字架にかかって身代わりとなって罪の罰を受けて死んで下さり、完全な罪の赦しを差し出して下さったからです。イエス様の十字架の赦しが完全だから、私たちは罪深くそして不完全であってもいいのです。

こういうわけでクリスチャンの生活は、完全無欠な人間、聖人君子になるようにと一生懸命「努力をする」生活ではなく、罪深い者さえも無条件で赦してくださった神様の愛を心から感謝し喜ぶ生活です。



  7 カトリック教会とはどこが違うのですか?

もしお近くにカトリック教会がありましたら、お訪ねになってみてください。カトリック教会がもつ歴史的な伝統と遺産に感銘を覚えられることと思います。今、日本ではカトリック教会の信者数は約40万人、プロテスタント信者数は約60万人と言われています。

1517年にドイツのカトリック修道士であったマルチン・ルタ−が、当時の中世カトリック教会のあり方に対して 率直な疑問を抱き、しっかりと聖書に根ざした真実な教会の回復を求めて、改革運動ののろしをあげたのがプロテスタント教会誕生の発端です。新しい教義や組織を創設したのではなく、聖書に立ち返って、「教会の本来の姿を回復しよう」とした改革運動でした。

カトリック教会の特徴としては、ロ−マ法王の絶対的権威、歴代の教皇庁の権威的勅令、マリアを頂点とする 聖人崇敬思想、聖職者たちが独身であること、クリスチャンネ−ムが賦与されることなどをあげることができます。これに対してプロテスタント教会は、聖書のみを唯一の絶対的基準とすること、キリストの十字架の救いの完全性、行いによるのではなく信仰による救いの強調、万人が祭司であることなどを特徴として挙げることができます。カトリック教会は世界中でただ一つの組織体制を保持していますが、プロテスタント教会はそれぞれの教会の歴史性や独自性を尊びますから、多くの教団・教派が生まれることを多様性として受け入れて発展してきました。

一般的にはカトリック教会では聖職者を「神父」と呼び、プロテスタント教会では「牧師」と呼んでいます



   8 一度行ったらしつこく勧誘されませんか?


実は私は高校時代に教会に通っていましたが、英会話を学ぶことが目的でした。ところが宣教師が「洗礼を受けませんか」と一言、ある日声をかけてきました。私は次の日曜日から教会に通うことをやめてしまいました。なぜなら「これ以上、教会に通うともう抜け出せなくなる。そろそろ潮時かな」と思ったからです。一言、勧められただけでどうしょうと思ってしまうのですから、熱心に勧誘されたらどうしようかと不安を感じ、心配される気持ちはよくわかります。

でも安心して下さい。キリスト教会では一人一人の個人的な信仰の告白が最大限に尊重されます。ですから、求道者の方々が自覚的で主体的な信仰の告白をなさるまで、自由に聖書を学んでいただいています。 10年間、そのようにして教会に通い続けて、クリスチャンになられた主婦の方が宇治教会にはおられます。聖書からイエスキリストの救いの真理を知り、主体的な自覚に基づいて信仰を告白し、洗礼を受けてクリスチャンになりたいと願う気持ちが生まれたならば、その時はどうぞ遠慮なく牧師に申し出てください。バプテスマ(洗礼)準備クラスが用意されていますので、学びを通してさらに信仰の告白を深めていただくことができます。



   9 信仰したらどんな御利益がありますか?


聖書には「御利益」という言葉は存在しません。普通の宗教では、商売繁盛、家内安全、無病息災、良縁、試 験合格、などがいわゆる御利益として売り物にされますね。これらの御利益を得るために、精進したり、お題目を唱えたり、難行苦行をしたり、お金をつぎ込んだりします。しかしこのような幸福と感じることがらは、他の人々と比較した場合に感じる相対的なものであり、いつまでも続くものではありません。人間として生まれた者はやがて誰もみな、老い、病み、そして死をもって人生を閉じてゆかなければならなりません。

ですから目先の幸福ではなく、人間にとって本当の幸福って何なのだろうか。本当の救いとは何なのだろうかと真摯に自らに問いかけてみるところから、求道の道が始まります。聖書は御利益ではなく、神様の祝福と永遠の救いについて教えます。それは人間の努力では得られず、ましてや人間の富の力などでは決して得ることができない尊いものです。

イエスキリストを信じる信仰によって、神は私たちに3つの祝福を約束して下さっています。何者も決して奪うことができない本当の幸福、永遠の幸福はここにあるのです。

    1) 罪の赦しと平安
    2) 永遠のいのちと神の国に生きる希望
    3) 神様との親しい愛の交わりと喜びに満ちた生活

私たちがこの人生で求めている本当の幸福は、赦しと和解、死にたいする平安と希望、孤独から解放された喜びと愛の交わりの中にあるのではないでしょうか。たまたま手に入ったものの、いつまた転がり出ていってしまうかわからないような偶発的な幸福(HAPPY{幸福}の語源はHAPPEN{偶然}にあります)ではなく、神様からの変わらない幸い−祝福(BLESSING)−をいただくことができます。


「いつまでも続くものは信仰と希望と愛です」 (1コリント13:13)

   
 「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が、
       一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
(ヨハネ3:16)



「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしが
あなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、 
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
(マタイの福音書11:28−30)


教会はあなたの街の心のオアシスです。そして、
私たちはあなたの人生にキリストにある平安と希望を

お届けしたいと願っています。


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