「私の父ダビデは、イスラエルの神、主の名のために宮を建てることを、
いつも心がけていた」(2歴代6:6)
先週、岡山市内の2つの教会を訪問しました。カトリック教会とプロテスタント教会という違いがありますが、二つの教会は最近、美しい教会堂を建て献堂式を行いました。地域の人々にも親しみと好感を与えており、建物自体がひとつの大きな証しになっていることを感じました。特にプロテスタントの教会では、教会設立100周年の記念事業として新教会堂建設を位置づけ、そのために教会員が一つとなって祈り、献金と奉仕に励んで、完成の喜びを分かち合ったというエピソ−ドを牧師から直接お聞きしました。 数十年にわたる祈りが積まれていることの尊さを覚えました。
1 素朴なダビデ王の願い「神殿建設」
王は預言者ナタンに言った。「ご覧ください。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまっています。」(2サムエル7:2)。ダビデ王は自分が住むりっぱな王宮を建てた後、神様のためにぜひ神の家を建てたいと願いました。ダビデにとって神殿建設は神様に対する感謝の心から生まれた純粋素朴な願いでした。多くの信仰者たちがりっぱな自分の家を建ててながら神様の住まいのことを忘れがちになることがあるのではないでしょうか。ダビデ王はいつも「神の家」を思い続けていました。彼には建物としての神殿だけでなく、契約の箱を守り、神に仕えて祭司職の努めをになうレビ族に属する人々の住まいや生活のことも念頭にあったと思われます。具体的には2万4千人の祭司たち、4千人の聖歌隊や奏楽者たち、神の箱を警護する4千人の警護官のための住まいをも考慮しつつ神殿建設という国家的な大プロジェクトに取り組もうとしたのでした。
2 ダビデの使命は「国家の統一と領土の確定」
しかし預言者ナタンを通して神様がダビデに語られたことばは、「あなたはわたしのために、わたしの住む家を建てようとしているのか。」(5−6)「あなたはわたしのために住む家を建ててはならない。」(1歴代17:4)という禁止の命令でした。つまり、ダビデが神殿を建てることを神様は赦されなかったのです。その理由は後に明らかにされました。「ある時、私に次のような主のことばがあった。『あなたは多くの血を流し、大きな戦いをしてきた。あなたはわたしの名のために家を建ててはならない。あなたは、わたしの前に多くの血を地に流してきたからである。』(1歴代22:8)
ダビデは王として軍隊を率いてイスラエル王国統一のために敵国ペリシテやモアブの侵略に対して戦わねばなりませんでした。ダビデは優れた勇敢な軍人であったためその手を多くの敵兵たちの血で汚してきました。戦争、殺人、破壊、流血などは平和と聖さの象徴である神殿にふさわしいものではありません。神殿建設を願うダビデの志しを喜ばれたものの、ダビデが建設に携わることは赦しませんでした。神殿建設はダビデの子ソロモンに託されました。神様がダビデに求められたことはイスラエル国家の基盤を堅く据えることであり、周辺諸国の絶え間なく続く侵略行為に対して断固として戦い抜くことでした。
このように、ダビデ王にはダビデ王の果たす使命があり、ソロモンにはソロモンの果たす使命がありました。人を用いられるのは神様ご自身です。私たちに取って大切なことは、人と比較することではなく、自分自身の役割を知り自分の歩む道を歩むことです。神様はひとりひとりに異なった奉仕をご用意されておられます。そしてすべてのご奉仕は「神の栄光を証しする」という共通のゴ−ルをもっています。ですから「こうありたい」と自分が願っていた道がたとえ閉ざされてしまったかのように思えても(閉ざされたか否かは最後までわかりません)、それでも神様に仕える奉仕の道を忠実に誠実に歩みたいものです。
3 準備のための祈り
「ダビデは、イスラエルの神、主の名のために宮を建てることを、いつも心がけていました。ところが、主は、私の父ダビデにこう仰せられた。『あなたは、わたしの名のために宮を建てることを心がけていたために、よくやった。あなたは確かに、そう心がけていた。しかし、あなたがその宮を建ててはならない。あなたの腰から出るあなたの子どもが、わたしの名のためにその宮を建てる。』(2歴代6:6−9)
ソロモンは王に即位した後、7年の歳月をかけて神殿建設事業を達成させました。ところが興味深いことに神様から「よくやった」とその働きが評価されたのはソロモンではなくダビデでした。ではダビデは何をしたのでしょう。彼は自分が陣頭指揮をとることが許されなかったとしても「神の名のために宮を建てることを心がけて」いました。そのためにダビデは彼にできる奉仕つまり建築資財の調達に全力を傾けたのでした。
「ダビデ王は全集団に言った。「わが子ソロモンは、神が選ばれたただひとりの者であるが、まだ若く、力もなく、この仕事は大きい。この城は、人のためでなく、神である主のためだからである。私は全力を尽くして、私の神の宮のために用意をした。すなわち、金製品のための金、銀製品のための銀、青銅製品のための青銅、鉄製品のための鉄、木製品のための木、しまめのう、色とりどりのモルタルの石の象眼細工、あらゆる宝石、大理石をおびただしく用意した。そのうえ、私は、私の神の宮を喜ぶあまり、聖なる宮のために私が用意したすべてのものに加えて、私の宝としていた金銀を、私の神の宮のためにささげた。」(1歴代29:2−3)
このように、ダビデは神様から拒まれても後継者となるソロモンの為に神殿建設用資材の確保に専心しました。やがてソロモンが神殿建設に着手したときに大量の資材が必要となり、品不足のために価格が急騰し、財政が苦しくなって工事が遅れてしまわないように考えたからと思われます。
神様から自分の願いが拒まれた時、神様からノ−と言われた時、あなたはどんな態度をとるでしょうか?すべてを放棄してしまいますか。もう関係がないと手を引いてしまいますか。影で足を引っ張ることはないでしょうか。へりくだって若い指導者に仕えることができているでしょうか。神様をうらみ不平をもらし続けてはいなでしょうか。ダビデは聖い目的の達成のために、表舞台ではなく裏方に配属されても、裏方の仕事に徹しました。惜しみなく資財を投げ出して神様に奉仕しました。神様のために良きことを志す者は、状況によって態度がコロコロ変わるようなことをいたしません。一貫して忠実であることを願うのです。そして周囲の人々もそのような姿に尊敬と敬意をいだくのではないでしょうか。信仰の真実な実を見いだしてゆくのではないでしょうか。
ソロモンがついにエルサレムに神殿を完成させた時、地上では盛大な祝会がもたれました。ダビデはすでに地上から天に移されていましたが、天において神様から「あなたは、わたしの名のために宮を建てることを心がけていたために、よくやった。あなたは確かに、そう心がけていた。」(1歴代29:2)と労いのことばをかけていただき大きな喜びに包まれていたにちがいないと思います。
ダビデにはダビデの奉仕と使命があり、ソロモンにはソロモンの奉仕と使命があります。さらに神様はダビデの願いと祈りを決して無視されたわけではありません。むしろダビデの神の家を想う純粋な志しを尊ばれました。だからこそダビデの子ソロモンがダビデに代わり神殿を建てることを許されたのでした。本来天地の造り主である大いなる神様を人間の手で造った神殿の中に迎え入れることなど不可能であり、神様も神殿を住まいとして必要とされません。神様がダビデの切なる願いを聞き入れてくださったのです。どんな祈りも神様は決してないがしろにはされません。ですから、かわらない誠実さと忠実さをもって奉仕に励みつつ、心からの願いを神様に聴いていただきましょう。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ4:6)
「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」(ピリピ2:13)