1月の説教 1月11日 礼拝
「ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。
この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。」
(使徒18:9−10)
チェンジはチャンス
私たちが属しています日本バプテスト教会連合の2009年度の年間主題聖句は使徒18:9のことばです。日本バプテスト教会連合は、北は北海道から南は兵庫県まで全国にある65の教会から構成され、宗教法人を形成してお互いの交わりと協力を深め宣教の働きを進めています。昨年、宇治教会は教会連合に所属して25年を迎えました。連合の諸教会のためにも祈りましょう。
さて、この聖句は次のような状況の中でパウロに神様が語られた励ましのことばです。
パウロがコリントの町で宣教を開始した時、この地に住むユダヤ人たちの反発と抵抗が非常に強く、ユダヤ教会堂で「もはやイエスがキリストである」ことを語ることが出来なくなってしまいました。パウロはこのユダヤ教会堂を拠点にしてユダヤ人への伝道を進めることがもはや困難であることを知り、これからは異邦人への宣教へと対象をチェンジすることを宣言しました。
1月20日にはアメリカの大統領にオバマ氏が就任します。彼が選挙期間中に訴え続け、アメリカ国民の心を掴んだことばは「チェンジ」でした。転換・変化・変換・改革・などとも訳されますがエネルギッシュなことばだと思います。パウロはコリントの町で3つのチェンジを図りました。
第1は、宣教の対象のチェンジでした。
「私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行くと言った」(18:6)
心堅くななユダヤ人への宣教に対してもはや十分に責任を果たしたことを表明し、これからは異邦人への宣教に進むとパウロは宣言しました。彼は神の御心をよく理解していました。イエスキリストによって与えられる救いはユダヤ人だけが独占する救いではなく、信じる全ての人々に与えられる普遍的な救いであるとロ−マ書で明確に述べています。
「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(ロ−マ1:16)
「それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではないのでしょうか。確かに神は、異邦人にとっても、神です。」(ロ−マ3:29)
パウロはまず最初にユダヤ人への宣教を進めましたが、冷ややかな彼らの反応を見て、いよいよ異邦人への宣教へと対象を大胆にチェンジしました。教会には壮年、婦人、高齢者、幼児、小学生、中学生高校生、大学生、社会人といった人々が所属しています。そしてそれぞれの世代の必要や感性に応じた適切な方法で宣教を進めてゆくことが求められています。ワンパタ−ンの方法ではなく常に方策をチェンジさせながら情熱を失わずに工夫を重ねながら宣教の奉仕に今年も仕えてゆきましょう。
第2は、宣教の拠点のチェンジでした。
パウロはユダヤ教会堂で福音の宣教を進めてきましたが、そこには限界があり壁がありました。イエス様が「新しい葡萄酒は新しい皮袋にいれなさい」(ルカ5:38)と命じましたが、キリストの福音を宣教する新しい拠点となる拠点としての会堂が必要でした。神様は奇跡を起こされました。神を敬うユストという人物が救いに預かり自分の家を教会堂として使用するように申し出たのです。しかもその家は従来パウロが福音を宣教してきたユダヤ教会堂の隣の家でした。さらにユダヤ教会堂の世話役であったクリスポとその家族全員がキリストを信じたのです。たとえるならば、神社の隣に新しく教会堂ができその中心人物は元氏子総代であったというようなケ−スともいえるでしょう。
宣教の拠点となり、礼拝や祈りの家となる教会堂の存在が果たす役割は決して小さなものではありません。
必要ならば大胆なチェンジが必要です。そして、祈り求めるならば神様は人知を超えた奇跡を起こしてくださることでしょう。経済的に厳しい中にあっても、チェンジすることはさらなる宣教のチャンスとなることでしょう。CHANGEはCHANCEに通じます。CHANCEはCHANGEから生まれます。経済的に厳しい中ですが、会堂検討委員会の働きを祈りの中でサポ−トしてください。
第3のチェンジは、宣教のスタイルでした。
パウロは次々と町から町へと移動しながらその地のユダヤ教会堂で福音を語り人々をキリストへ導きました。ですから一つの地に長く住んで宣教と教育と牧会の働きに専心して教会を建てあげるという牧師スタイルを従来は取りませんでした。パウロは牧師スタイルというよりは宣教師スタイルを取っていました。しかし、コリントの町では1年半、続いてエペソの町では3年半、あわせて5年間も一つの町に腰を落ち着けて一つの教会を建てあげてゆく牧師スタイルへとチェンジしました。パウロにとってはまったく新しい試みでした。しかしコリントの町での必要性を覚え、大胆に彼は自分のスタイルを変化させました。そこにはこだわりを捨てる柔軟性がありました。
人を変えることや周囲を変えようと私たちは試みますが、最初に変えるべき相手はほかならぬ自分自身です。自分がチェンジすることなくして周囲はチェンジしません。人を変えることは難しいと一般に言いますが、最も難しいことは自分を変えることです。そしてみづからをチェンジさせてゆこうと志すものが成功を手に入れるのです。
パウロは宣教の対象をチェンジし、宣教の拠点をチェンジし、自分のスタイルをチェンジしました。柔軟に適切に積極的に切り替えました。一人の人が救われるためならば、そして福音のためならば、パウロはなしうることは全力を尽くして取り組みました。
「すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者と
なるためなのです。」(ロ−マ9:22−23)
しかし、パウロが変えなかったことがあります。変えては成らないと命じられたことがあります。
第一に、 沈黙せず語り続けることでした。
「語り続けなさい。黙してはいけない」(9)とパウロは命じられました。このことばはパウロばかりでなくすべての信徒と教会への命令です。時が良くても悪くても福音を語ることは教会に託された使命です。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えな がら、責め、戒め、また勧めなさい。」(2テモテ4:2)
いつの時代の教会も信徒も、どんなに反対が強く反発が大きくても、決して沈黙せず伝道を進めなければなりません。反対があるから伝道を控える、場所がないから伝道しない、お金がないから宣教を縮小するというのはクリスチャンにふさわしい考え方ではありません。パウロほどの有能な宣教師であってもコリントの町で起きた今回の猛反発は彼の気持ちを落ち込ませやる気を失わせました。ですからイエス様が「黙さないで語り続けなさい」と命じ励ます必要があったのです。
伝道はムードや気分に基づいて行うものではなく、主の命令に基づき意志によって行うものです。お金の力によって進めるのではなく聖霊の力によって進められるのです。人間の情熱も大切ですがそれ以上に祈りによって進められる霊的性格を持つ霊の戦いの一面を持っています。
「そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、 御霊と御力の現われでした。」(1コリン2:4)
第2に、伝道への情熱と希望を保つことです。
伝道への情熱を失ってはなりません。変わることなく保ち続けることが大事です。「私の民がこの町に多くいる」(9)ことをイエス様は明らかに示しました。「民」とは本来イスラエル民族を指すことばですが、イエス様が「私の民」と言われた時には、イエスをキリスト信じる新しい共同体、神の家族とも呼ばれる教会を指しており、神様の目にはイスラエル民族同様に教会は神の民とされているのです。
「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、 神の家族なのです。」(エペソ2:19)
このコリントの町にも私を信じて私の弟子となり新しい神の民となり教会を形成してゆくことになる人々が異邦人の中にまだまだ多くいる。彼らの存在は今、目に見えず隠されている。だから困難は多いけれど臆せず恐がらず大胆に宣教しなさいとイエス様はパウロに命じたのでした。イエス様が未来を見てそのように予告されたのか、父なる神様の深い御心の中で永遠の昔からすでに選ばれている人々がこの町に多くいると霊的な視点から語られたのかわかりませんが、いずれであってもこれからパウロが進もうとしている異邦人伝道に対する大きな確信になったことは違いありません。同時にそれは大きな希望になったことと思います。
「この町には私の民が多くいる」それはすべての牧師が霊的な宣教の力の源としている言葉でもあります。単身留学の形で1年半にわたる東京の聖契神学校での学びを終えて東京から帰って来る新幹線の中でこのみことばが私の胸に突然響いてきました。当時、教会員は私たち夫婦と伊東兄弟姉妹、武田姉、高校生が1名のわずか6名の小さな教会でした。それからおよそ25年の歳月が流れ、多くの人々との出会いが与えられ100名近い方々が救われました。国外や遠方へ転居された方々もおられます。すでに10数名の方々が信仰の道のりを走り終え天国へと帰ってゆかれました。中には続けて20年近くいまも求道されている方もおられます。しばらく教会の交わりから離れている方々もおられますが、神の家族の一員であることは変わりません。教会の伝道の働きは、救急病院の医者や看護師たちスタッフのような働きだと思うことがあります。緊急事態に陥り体と心の痛みと悩みを覚える方々が救いを求めて飛びこんできます。受け入れられ癒され救われ再び元気を取り戻せばそれぞれの家族と生活の場へと救急病院から戻って行きます。いつまでも病院に住みつく患者はいません。自分の生活の場へともどってすっかり救急病院の存在を忘れてしまう患者もいれば、感謝の心を忘れない患者もいます。 神様から癒しと救いを受けた恵みを決して忘れず、神様への感謝の心をもって日曜日の朝に教会に集う人々の群れが礼拝を中心とした教会の姿と言えます。病院の存在を忘れたからといって患者を怒ったり非難したりする医者や看護師はいません。しかしながら、救われ癒された喜びをもし回復された患者さんと一緒に分かち合うことができるなら大きな喜びとなり励ましとなります。伝道にはそんな喜びが伴うのです。
私は一人の牧師・伝道者としてこれからどんな人々と出あってゆくのかとても楽しみです。伝道は復活され今も働き続けておられるキリストと一人の魂との出会いのドラマだと思います。永遠の愛をもって愛される神様と一人の罪ある人間とのあいだで織り成される大恋愛ドラマです。どんな恋愛ドラマにまさってそれは美しく感動的です。神様の愛のすばらしさ、人間の美しさ、生きることの幸せに心が震えます。
伝道はとても楽しみです。それは「この町に私の民が多くいる」という神様の約束を見せていただくことができるからです。この小倉の町に、宇治の町に、南京都地域の町に、そして一番身近かな家族の中に、友人たちの中にも「私の民は多くいる」とよみがえられたキリストは私たちに語りかけておられます。
チェンジすべきものは大胆にチェンジし、変えてはならない宣教への情熱を熱く保ち、今年も託された宣教の使命を共に果たしてゆきましょう。