6月の説教 6月7日 礼拝
「祈りのシリ−ズ」


題「すべての祝福の中心に祈りがあった」

「そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。」
(使徒2:41−43)

ペンテコステの日に約束通り、120名のクリスチャン達が祈っていると、神の御霊である聖霊が天から注がれました。聖霊に満たされたぺテロの大胆な説教を聴いた人々はキリストを十字架につけて殺してしまった罪を悔い改め、キリストを救い主として受け入れました。彼らはペテロの招きに即座に応じてキリストの名によってバプテスマを受けました。その数は3000人にも達しました。

3000人といえば宇治市の人口の1/60です。3000人が集まれる場所といえば宇治市では「太陽が丘公園」しか思い浮かびません。観光地として有名な塔の島公園では狭すぎて宇治川に落ちてしまう人が出てしまうかも知れません。宇治で一番大きな教会でも礼拝出席は80名ぐらいといわれていますから、3000人という数字はすごい数だといえます。

通常、これだけの人が集まれば会場は大混乱がおきることが予測されます。ガ−ドマンを1−2名は雇わないと整理ができなくなるかもしれません。しかしペンテコステの日、「彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」(23)とあるように興奮状態や熱狂状態に陥ったわけでもなく、むしろ落ち着いた整然とした信仰の生活へと歩みが導かれました。ここに描かれているのは、礼拝や集会に集い、説教に耳を傾け、聴いたことばを実行し、信徒同士の交わりを深め、聖餐式を尊び、祈りを分かち合っているシンプルな礼拝者のすがたでした。ここには2000年後の今日にもそのまま通じる私たちの普段の信仰生活が描かれています。ペンテコステの日に誕生したエルサレムの教会は、何か私たちとは異なる特別な教会ではありませんでした。ごくごく普通のシンプルな礼拝の光景であり信仰生活の姿でした。

1 25人の祈り

ペンテコステの日に設立された教会の特徴をしめすことばは、「彼らは祈りをしていた」ということばにあると思います。エルサレムを離れないで120名の弟子達が心を注いで10日間祈っていました。朝9時の祈りの時に聖霊が注がれました。3000人もの人々が救われましたが、彼らもまた「祈っていた」のです。祈りから始まり祈りで終わっています。このことから聖霊の働きと祈りは深く結びついていることがわかります。

では、3000人もの人々がどのように祈っていたのでしょう。おそらく彼らは小さなグル−プに別れて集会をもっていたと思われます。

ペンテコステの日に集っていた120名のクリスチャンがもしそれぞれリ−ダ−となって祈りを導いたとしたら、どうでしょう。12/3000は25名となります。1人のリ−ダ−が25名の群れを導いていたと想像することができます。そしてこの120名のリ−ダたちは何をもって導いたかと言いますと「祈り」の中で「新しい人々」を導き育てたといえます。

私たちは新しい人を迎えると「信仰入門クラス」のテキストを用いて学びます。でも初代教会では「神様に祈る」ことから学び始めたのです。共に祈ることから交わりを初め、共に祈ることから学びを初め、共に祈ることから奉仕を始めました。

「祈ることを教えてください」と求めた弟子に対してイエス様は「主の祈り」を祈ることを教えてくださいました。彼らは祈りについて学ぶのではなく、祈ることそのものを体験的に学習してゆきました。学習には4原則があるといわれています。「聴いて学ぶ・見て学ぶ・やって学ぶ・やらせて学ぶ」です。やって学ぶ、やらせて学ぶことを実地体験あるいは経験学習ともいいますが、体で覚えて学び取ってゆくことは非常に大切な要素だと私は思います。

ですから今、信仰入門クラスでも早い段階から「祈る」ことを求道者にも学んでいただいています。子供達にも祈ることを教師達は導いています。祈ることを知って、直接神様と向き合い語り合い、自分の思いや願いを伝え、神様の答えや導きをいただくことによって、人に依存するのではない自律した信仰生活の基礎が作られると私は思っています。

2 教会が祈るとき

さて25人が心を合わせて祈った時、何が起きたでしょうか。

1)みことばと聖餐が中心の交わりが生まれました

彼らは使徒たちの教えを聴き、実行し、聖餐を忠実に守っていました。聖餐式は主が定められ、主がこれを記念とするように命じられましたから、聖餐を守ることはあらゆる教えに先だってクリスチャン生活の中心に位置づけられています。教会はみことばと聖餐によって一致を保つことができます。みことばに立ち聖餐を重んじることによって教会の一致は基礎づけられるのです。
ルタ−は「真の教会のしるしは、みことばが正しく解き明かされ、聖餐(聖礼典)が執行され、戒規(教会教育)が行われていること」と強調しました。まさに祈りの中で教会は健全に建てあげられるのです。

2)神様への恐れが生まれました 

「そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。」(24)と聖書は記しています。祈りの中で神への恐れ、畏敬の念がますます深められました。礼拝はもともと旧約聖書では「会見の幕屋」にそのル−ツをもっており、会見の幕屋は神の臨在が満ちている聖なる場所とされました。イスラエルは会見の幕屋において神様との出会いを体験し、神の声を聴き、神様への畏れを覚え、神様に従いました。畏敬の念あるいは畏怖の念、日常生活から分かたれた特別な聖なる時間を体験してゆくことは祈りの中にその道がし備えられていると思います。

3)不思議なわざがおこりました

彼らが祈る時、多くの不思議と奇跡が起こりました。不思議なわざは御聖霊の働きに他なりません。祈りがあるところに神の御霊の力強い働きも期待できます。祈りなくして力ある神の働きを待ち望むことはできません。

「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、
地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

(マタイ18:19−20)

4)毎日の救い

「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」(46−47) ここにはペンテコステ後の様子が記されています。彼らは毎日、宮に集まりユダヤ人のならわしに従い礼拝と祈りをささげました。そればかりでなく信徒の家庭を開いた家の教会に集い、神を賛美し、食事を共にしていました。そこには、お祭り騒ぎのような一時的な熱狂ではなく、しっかりと地域に根付いた教会の継続的な発展の姿が見られます。食事を共にしていたとありますが、おそらくここでは貧しい人々を教会が積極的に食卓に迎え入れ給食の奉仕をしていたと想像できます。

奴隷や病人あるいは寡婦や孤児など貧しい人々が多い時代に、食事を分け合い1日の糧を提供することは最大の愛のしるしでした。家を開放することはやさしいことではありません。開かれた心がなければ人々に家を開放し食事を提供することはとても難しいことといえます。しかし、祈りがあるところには聖霊の愛もまし加わるのでしょう。聖霊のみたしがあるところに愛もまた豊かに満ちるのです。御霊による愛の奉仕と交わりは初代教会の大きな特徴でした。その結果、毎日、新しい人々が仲間に加えられ教会は日々、成長しました。

今日、私たちはペンテコステの日とその後の教会の歩みを振り返っています。彼らは「祈っていた」とありますように、「すべての祝福の中心に祈りがあった」ことを学びました。

私たちはこの朝、神様の祝福をもとめて「祈る」のではなく、「祈りがある」ところに神の祝福も伴うことを心にしっかり覚えたいと思います。

祈りは手段ではありません。さらに祈りは祝福が注がれる通路以上のものです。祈りはすべての祝福の中心なのです。

池に石を投げこむと落ちたところを中心にして同心円上に波紋がゆっくりと広がってゆきます。

波紋の広がりを神様の祝福とすれば、その中心に祈りがあるのです。くりかえしますが、「すべての神様の祝福の中心に祈りがある」のです。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配して
くださるからです。」(1ペテロ5:7)


神様の恵みと祝福があなたの上にありますように。