2014年度 主日礼拝
  2014年6月22日




「感謝しつつこころから賛美しましょう」

                                      コロサイ3:16

「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」
(コロサイ
316

68日のペンテコステ礼拝から3回連続で聖霊のお働きについて学んでいます。

1回目は、キリストの約束を待ち望む弟子たちに聖霊が注がれ、15か国以上の外国のことばで各自が「神の大きな御業」(使徒211)を語りだしたこと。聖霊に満たされ大胆にキリストの救いを語るペテロの説教に心を動かされて、3000人が悔い改め、イエスの名によってバプテスマを受け、教会の仲間に加えられ、その結果、エルサレム教会が誕生したことを学びました。この出来事は全世界のすべての国と民族に福音が宣べ伝えられていく世界宣教の幕開けを示す劇的なしるしとなりました。

第2回目は、聖霊はキリストの御霊、もう一人の助け主(ヨハネ1416)とも呼ばれ、キリストを信じる者たちの心の中に住まわれ、個人的に親しい交わりをもってくださることを学びました。心を住まいとされることを「聖霊の内住」「キリストの内住」と表現することもあります。かつてキリストの誕生に際し、御使いがヨセフに知らせた告知の成就と言えます。       「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」(マタイ123

第3回目の今朝は聖霊による新しいいのちの成長について学びます。

聖霊はキリストを信じる者をますますキリストのいのちに結び合わせて、キリストの愛と力の中に豊かに絶えず成長させてくださることができるお方なのです。イエスの名によってバプテスマ(洗礼)を受けたすべてのクリスチャンは、神様からの最大の贈り物である「聖霊の賜物」(使徒238)を戴きます。キリストの御霊とも呼ばれる聖霊が降り、心に住んでくださるのです。霊において聖霊に満たされていくとき、誰でも「キリストにあるならば新しくされ」(2コリント517)ます。しかもそれは「日々新しくされる」のです。

Uコリ 4:16「 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(2コリント4:16)

具体的にはどういうことでしょうか。端的に表現すれば、私たちがキリストのご性質に似るものへと変えられ成長していくことを意味しています。目に見えませんが、イエス様からの大きな影響を受け、内的ないのちに変化が起きてくるのです。時間はかかるかもしれませんが、考え方、態度、人格、性質、生活習慣に至るまで変化が生じてきます。イエス様の御霊である聖霊が心の中に宿るのですから、イエスのように変化していくのは自然なことと言えます。ちなみに、親子というものは互いに年をとるとますます似てきます。なかにはそれだけは避けたいと思われる方もいらしゃるでしょうが・・。でも例外なく似てk来ますから抵抗しがたいところです。私もある方にお電話をして、対応に出た方が息子さんだったと気が付くまでにしばらく時間がかかったことがあります。声、姿恰好、歩き方、話し方、食べ方まで似てきます。遺伝子を分け合っているわけですから似てきて当然ですね。

イエス様のいのちである御霊を受けているのですから、私たちも、イエスさまのように変えられていくことが可能でありそれはごく自然なことなのです。

では、どのように変えられていくのでしょう。2つお話したいと思います。

第1は、信じる者の心と生活に御霊の実が結ばれていくことです。

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか」(ガラテヤ522-25

ここには9種類の御霊の実が紹介されています。ところが「実」と訳されたことばは複数形ではなく単数形で表現されていますから「御霊の実は愛です。そして愛は以下のような8種類もの豊かさや味わい深さをもっているのです」とも解釈できるそうです。愛はいくつもカット面を施されたダイヤモンドのような輝きをもっていますから、多彩で多様な輝きを豊かに放つことができます。よくよく考えてみれば、イエス様は弟子たちにたった一つの戒めだけを与えました。それは「互いに愛し合う」という愛の戒めでした。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(ヨハネ15:12)このただ一つの戒めを守る者は、ますます愛において豊かにされるのです。

「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」(ヨハネ14:21)

愛とはなんぞやと難しく定義する必要はないと思います。あなたがいつでも喜んでいることです。心がいつでも安らかであることです。あなたが赦す心と待つ心とそっと見守る心をもつことです。自分と違う人を拒否するのではなく、受け入れる寛容さを身に付けていくことです。キリストの愛が、キリストの御霊による愛が、あなたをそのように満たし導き、育んでくださるのです。そこには「愛せねばならない」というような圧迫感や強制感は存在しません。「実を結ぶ」のではなく、「実が結ばれていく」のです。それが御霊に導かれて歩むこと、すなわち生きることにほかなりません。

第2に、御霊の愛に満たされる目的を理解しましょう。神様が私たちを御霊で満たそうとされる目的はなんでしょう。その答えの一つがコロサイ3:14に記されています。

「これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」(コロサイ314-16

「感謝の心を持つ人となり、感謝にあふれて心から神に向かって歌う人」となるためです。これが神が願っておられる目的です。感謝に満ち、神への賛美へと変わることです。

「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Tテサ 5:18)
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることであり、「感謝が神様への賛美にまで引き上げられることがゴ−ル」なのです。初代の教会とクリスチャンは多くの賛美を神様にささげました。詩(神殿の聖歌隊の歌う詩編)と賛美(神への賛美)と霊の歌(キリストへの賛美)(コロサイ3:16)と、礼拝や集会で用いられる賛美も実に豊かでした。

祈りに満ちた教会・賛美に満ちた教会・感謝に満ちた教会はなんと魅力で人々をひきつけたことでしょう。祈りに満ちたクリスチャン、賛美に満ちたクリスチャン、感謝にみちたクリスチャンの内に、周囲の人々は何を見ることができるでしょうか。彼らの中に、生きておられるイエス様のお姿を見るのではないでしょうか。そして心うたれるのです。かつて、パウロとシラスがピリピの街で不当に逮捕され、裁判もないまま激しく鞭うたれ、牢につながれるという事件が起きました。その夜、彼らは理不尽さの中にあって、痛みを伴う厳しい現実の中にあって、それでも「心から神に向かって賛美」(使徒16:26)しました。「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。」(使徒16:25)  荒くれ者の囚人たちの心に、平安と喜びと感謝をもたらしたのは、パウロとシラスの心の中に生きておられるキリストご自身であり、キリストのなせる御業でした。

今日は午後から、第2回教会音楽祭が開かれます。クリスチャンばかりでなく、一般の音楽が大好きな方々も来られます。5組の出場申込者がいます。今年はどんな音楽を聞かせてくれるのかとても楽しみです。彼らもまた教会の賛美を楽しみにしています。

このような機会がなければ教会に来ることも足を踏み入れることもない方々ばかりかもしれません。教会の交わりを通して、私たちとの出会いを通して、音楽という絆で結ばれることも尊いことではないでしょうか。

                      感謝し賛美し、神様に栄光をお帰ししましょう。

                                         以上



   

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