ピリピ人の手紙 1


キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです(ピリピ314-16













1 前向きな生き方

先週の日曜日の夜、私の友人のお母さんが癌のためになくなり、前夜式に出席しました。胃がんの発見が遅れたため余命3ヶ月と医者から宣告を受けました。最初は自分が癌であり治療不可能であることを全く受け入れることができなかったそうですが、最後には家族と一緒に自分のお葬式のプログラムも考えたそうです。祭壇を大好きなひまわりできれいに飾り、CDに収録していたお母さん自身が歌う演歌が式場に流れる中でお葬式がいとなまれました。私も始めての経験でたいへん驚きました。お話しを聞くと、30代で書道を習いやがて4つの教室を経営し、早くに主人を亡くされた後は、社交ダンスをはじめ、得意なカラオケで老人ホ−ムを訪問するなど常に「前向きな人生」を歩まれていたそうです。「人は生きてきたように死んでゆく」というのはホスピス医療で有名な柏木哲夫先生のことばですが、この方のお葬儀に参列して本当にその通りだなと強く思わされました。

ローマの獄中にありながら、パウロは後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向って進み、目標を設定して一心に走っている」と言いました。いつかスペインにまで宣教を進めたいと願うパウロの強い気持ちが伝わってくる思いがします。目標を定め積極的に前向きに生きる生き方は「目的指向型」の人生といえます。

前向きに生きるためには後ろを向いていては進めません。人生には3つの流すものが必要だといわれています。「よろこんで汗を流すこと、悲しむ人に寄り添ってともに涙を流すこと、そしてすぎさった過去を水に流し忘れること」、この3つをうまく流すことができるならばきっと幸福な人生を歩むことができると思います。一つでも流すのが難しいのに3つも上手に流せるとしたらすばらしい「3流の人生」と言えます。無理に背伸びして虚勢をはって一流の人間になろうなどと思わなくても、十分幸福ではないでしょうか。

過ぎ去った過去の出来事、消し去ることのできない過去の過ちや後悔、言った相手がすっかり忘れているのに言われた本人の心にとげのように突き刺さって抜けないことば、ズ−と引きずっている恨み、つらみ、憎しみ、くやしさ、無念さ、これらを流すことができるならば、どれほど心は軽くなり、前に向ってひたすら進み出すことができるでしょうか。キリストにあって後ろのものを忘れさせていただくことは幸いなことです。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、
  見よ、すべてが新しくなりました」(
2コリント517

大事な答えは後ろにあるのではなくいつでも前にあります。過去が今を作るのではなく、今のあなたが未来を作るのでもなく、未来が今のあなたを変えて行くのです。何を願い、何を望み、どう待ち望むのか、未来を信じる力が今のあなたを変えてゆくのです。

2 目標を目指して一心に

パウロは「目標を目指して進む」と語っています。目標を目指す前に緻密に目標を設定する必要があります。私はどちらかといえば「聖霊の導かれるまま」行動するというタイプの牧師のもとで育ちましたから、目標を設定し計画を立て、進捗をチェック評価しながら、事業を確実に達成してゆくという進め方には内心葛藤を覚えます。主が御心のままに導かれるのだから導かれるままに一つ一つ従えばいいと思ってしまう自分がいることを自覚しています。しかし、パウロは「成人である者はみな、このような(目標を立て目標を達成する)考え方をしましょう」と呼びかけています。

成人とは成熟したクリスチャンを指しています。成熟したクリスチャンは「神様から導かれた目的(ミッション)をしっかり受けとめ、ミッションの実現のために具体的な目標を設定し、さまざまな資源(祈り、ネットワ−ク、個人の能力、財政力等)をフルに活用し、困難や試練がどんなに多くても、決して投げ出さずあきらめず目標達成に向って尽力する」ことができます。ところが大人になっていない未熟なクリスチャンは、気ままに、思いつきで、気分次第で行動し、試練がくれば真っ先に回避することを考えます。待ち望むということばの正しい意味を理解せず、「そのうちなんとかなる」と勝手に解釈します。神様がそのうちに何とかしてくれるというのは「信仰」ではなく、「怠け」「自己放棄」にほかならないと私は思います。

ある先生から「そのうちにという汽車は遅すぎたという終着駅に着く」ということわざがあることを教えていただきました。「慎重すぎて石橋を叩いても渡らない」人もいると聞いています。全てのわざには時があること、神様の時を生かすこと、聖なる決断の大切さをこの言葉を通して私は学ばせていただきました。

さて、成熟した大人は「目標」の立て方が違います。

@神様の栄光と結びついた目標を立てます。

「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために」とあるように、神様の栄冠、神様の栄光と結びついた目標が設定されます。自分の欲や満足や損得勘定かに基づく目標設定ではありません。「神様の栄光のために」この祈りが究極の目的となっており、個別の小さな目標が立てられます。

親しい交わりを持つある教会の新しい青年向けの伝道所「G-BOX」がまもなく献堂します。「福音と神の栄光の箱」という名称です。一人ぐらしの老姉が多額の遺産を献金しました。教会はそのおばあさんの志を「未来を担う青年たちの救い」の成就にむけて「G-BOX」という形にしたのでした。

自分のためではなく神様のお役に立ちたい、神様の栄光をあらわしたい、イエス様への愛を形で表したい、一人でも多くの人にイエス様の愛を知って欲しい、このような祈りに根ざして老姉の志が生かされ、伝道所建設の目標が立てられ、その実現に向って進み出したのでした。

A小さな目標を順序良く立てます

目標は現実的で具体的でなければなりません。達成できる身近な小さなことから徐々にステップアップして最終ゴ−ルに向うように段階的にセッティングされたときに最も力を発揮します。最初から大きな目標を立てても失敗します。ビッグゴールとよばれる最終目標とスモ−ルゴールは異なるからです。体重400gという超未熟児で生まれた赤ちゃんのために私たちは100gすつ体重が増えますようにと具体的に祈ってきました。「いつか早く元気で大きくなりますように」などというあいまいで抽象的な祈りはしませんでした。今、1200gを越えるまで成長しています。わたしたちの次の祈りの目標は赤ちゃんが1400gになることです。

B自ら達した基準に従って進みます

1)大人でない未熟な者はまず「他人と自分を見比べます」。他人が達している「基準」を気にしてしまい、自分の基準としてしまうのです。このような借り物の基準はその人を生かすことはできません。聖書は「あなた自身が達した基準」でよろしいと示しています。

信仰はいつでも「主体性」を最大に尊重しているからです。

2)成熟した大人は自分の特性をよく理解しています。つまり自分らしい目標の設定をします。自分で納得できない目標を立てても何の役にも立たないことでしょう。

この夏休みに関西盲人宣教会のキャンプに出席をし、講師のお話を聞きました。明るい元気な大坂のおばさんという熱血タイプの女性牧師でした。忙しい大きな教会から田舎の小さな教会に結婚して赴任した時、本当に暇でやることがなく「何かをやらなければ」とすごく焦ったそうです。ところがご主人は奥さんと正反対のタイプでおとなしく穏やかでのんびり屋でなにごともゆっくりしています。しびれを切らして「大丈夫なんですか」とご主人に聞くと、「大丈夫。何も伝道しなくても存在そのものが伝道です」と言われ「なるほど」と感心し、ご主人を改めて尊敬したそうです。ご主人は自分の性格をよく理解し、ご自分の賜物にあった奉仕態度で牧師としての働きを進めておられます。奥さんは自分の性格にあった、自分が達したところを基準にして、神様に喜びをもってマルタのように仕えておられます。すばらしいことだと思います。

かつてよみがえられたイエス様はペテロが将来どのような死に方をするかを予告されました。そしてペテロにたとえ殉教をする道だとしても「あなたは、私に従いなさい」と語りかけました。するとペテロは「ヨハネはどうなんですか」とすぐさま聞き返したのです。するとイエス様は「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」(ヨハネ2122)と再度、ペテロに従順な献身を求めました。

一人一人が神様の御心の中を、それぞれの達した基準に従って、神様につかえながら、奉仕の生涯を歩みます。こうして一人一人が「主に従う」召しの道を歩むのです。あなたはどんな性格だと自分を理解していますか。あなたにはどんな賜物とどんな強みがありますか。あなたはどんなもろさや苦手意識をもっていますか。他の誰かから押し付けられた目標ではなく、自分自身が立てたあなたの目標を持っていますか。その目標に向って今、どこまで進み出していますか。あなたはあなたの達した基準を受け入れ、自分が精一杯尽くしてきたことをちゃんと認めることができていますか。

もう一度繰り返します。他人の基準や借り物の基準ではなく、あなたが達したあなたの基準に従って、後ろのものを忘れ前に向かって進みましょう。

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです
(ピリピ2:13)

波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた」(詩篇107:30)。