**元気の出るダイアル**  2020年5月24日
    

みなさん、おはようございます。おかわりありませんか。なにか困っておられませんか。気がかりなことがあれば遠慮なくご相談ください。

聖書の言葉をお聞きください。

クリスチャンのことを聖書は「神の子どもたち」とも表現しています。神の家族であり神の子どもたちという意味です。使徒ヨハネは、私たちが神の子供とされるために、「どんなにすばらしい愛をあたえられたことでしょうか」と感動をもって書きつづっています。ここで使われているギリシャ語の形容詞は、感嘆詞!ビックリマークがいくつもつくような言葉と言われています。「なんという!!! 愛」「すばらしい!!愛」とでも表現できそうです。

中には「愛なんて知りません」「すばらしい愛なんて理想に過ぎません」と言われる方がおられるかもしれません。使徒ヨハネは「それはあなたが父なる神様を知らないからですよ」と諭しています。愛を人間の世界の中にのみ追い求めているからわからなくなる、傷つく、空しくなる、孤独を覚えるようになるのです。ある歌手が「もう恋なんて2度としない」とヒット曲をとばしたほどです。人々は愛を探し求めていますが、見つからないのです。

明治時代の文豪、二葉亭四迷が外国の小説を翻訳する際に「I love you」を どう適切に訳したらよいか悩みぬいたそうです。その結果、彼は「わたし、あなたのためなら死んでもいいわ」と訳したそうです。 これこそ「愛する」神髄といえますね。

私たちが日常経験するのは、自己本位の愛です、愛するよりは愛されることのみを要求するエゴイスティックな愛ではないでしょうか。

使徒ヨハネは「ご自分のひとり子さえ惜しまず世に遣わし、十字架の上で身代わりの死を遂げさせるほどの父なる神の愛をあなたがたはまだ知らないからです」と、使徒ヨハネは語りかけています。(1ヨハネ49-10)。

ここで使われている「愛」はアガペーというギリシャ語です。ギリシャ語では愛を現す4つの言葉があります。人間的な愛をエロス、親子の愛をストルゲー、友情を示すフィリア、そして神が与えてくださる愛のアガペーです。聖書は神様からの「愛の手紙」と表現した牧師がいましたが、まさにその通りなのです。聖書の神は「愛の神」です。

父なる神の愛は、永遠の愛、見返りを求めない無償の愛、無条件の愛、一方通行の愛、惜しみなく与え続ける愛と言われます。一般的な感覚から言えば、私たちが神の子どもとされるために、天国へ行くことができるために、救われるために何が必要かと問われれば、きっと、「天国にふさわしいりっぱな人格や良い行いやきよいまじめな心になる必要がある」と考えるに違いないと思います。つまり、無条件では受け入れられない、それにふさわしい努力や精進が求められると考えがちです。

ところが、そんな思いを木っ端みじんに打ち砕いてしまうのが「神の愛」のすごさなのです。あなたが救われるために父なる神様はひとり子を十字架にかけて犠牲にされた。御子のいのちを捨ててくださった。だから、これ以上のものを神があなたに求めようがないのです。たとえ難行苦行を重ねようが、巨万の富を神にささげようが、御子のいのちにくらべようがないのです。どれほどの愛を、アガペーの愛をあなたはすでに受けたことでしょうか。

神が無条件の愛をもって、差し出してくださった救いの贈り物を、あなたも無条件で感謝して受け取らせていただきましょう。 信じるとは受け取ることなのです。

「あなたがたは恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分から出たことではなく、神からの賜物です」(エペソ2:8)     

                                                                                                以上

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