**元気の出るダイアル**  2020年6月21日
 

愛は限りなく 
(第一ヨハネ3:18-24)

イエスキリストは弟子たちに「互いに愛し合いなさい」と命じました。そうすれば神が喜ばれ(22)、神がともにおられ(24)、祈りもとめるものはなんでも神からいただくことができる(22)という祝福を教えてくださいました。旧約聖書には248の積極的命令と365の消極的命令からなる613の戒律がありますが、イエス様はただ一つの新しい戒めを、モーセの律法に代わるキリストの律法として弟子と教会に求められました。

そのために、イエス様は「私のもとに来なさい。そして私から学びなさい」(マタイ1128-29)と招いてくださったのです。聖書では罪の本来の意味は「的はずれ」です。真の神様や救い主のもととは違う方向に向かって突っ走ってしまい、最後は迷いとむなしさに陥ってしまう状態を罪と呼んでいます。

私たちの人生は一度しかありませんが、何度でもやり直せます。ですから遅すぎることはありません。今までの自分の方向がずれていたと気がつけば、いつでも修正できます。間違っていたと気づけば、後からではなく今修正しましょう。

聖書のことばをお聞きください。

「神の命令とは私たちが御子イエスキリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛しあうことです」(ヨハネ第1の手紙3:23)

互いに愛し合いなさいと言われたキリストの言葉に従おうと願う時、実は私たちは新しい課題に直面します。それは「愛には限りがない」という事実です。古い時代の戒律のように「回数が決められていたり、ここまでで十分です」と限界が定められていれば安心できます。ところが、愛の奉仕にはそのようなリミットが定められていません。ですから時には、疲れ切ってしまったり、体力の限界やこころの弱さを覚えたり、十分なことをしてやれなかったという後悔や自責の念に苦しむことも生じてきます。その結果、燃え尽き症候群やうつ状態に陥る場合も多いのです。

東日本大震災の時、救助活動に携わった自衛隊員、救急隊員、警察官、医療関係者といったプロフェショナルの人たちの中には、しばらくたってからPTSD(心的外傷後ストレス症候群)やうつ病で苦悩した人々の数が少なくないと聞きました。十分な活動ができなかった、どんなに尽力してもきりがない、先が見えない、そして被災した人々をそのまま残して自分だけが日常生活に帰って行くことに「見捨ててしまった、見限ってしまった」という自責の思いが強くなり、苦しんでしまったのでした。こころやさしい人であればあるほどこのように自分を責めてしまうのです。

使徒ヨハネは、愛の奉仕にはそのような苦しみが伴うことをよく理解していました。

ですから、たとえ自分を責めるようなことがあっても「神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じです」(20)と慰めに満ちたことばを語っています。

たしかに、愛の奉仕には限りがありません。でも、最善を尽くしたなら、神の大きな愛の中に相手も自分自身も委ねましょう。燃え尽きる前に、神の愛と慰めをいただきましょう。

そうすればまた立ち上がれます。   DO your best and GOD blesses you

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