**元気の出るダイアル** 2020年7月26日
使徒ヨハネは「もし私たちが互いに愛し合うなら、神はその人におられ、その人も神のうちにいます」と教えました。
創造主である神の中に、人は誕生し、生き、導かれ、存在しています。その生涯は信仰のあるなしにかかわらず、神の大きな恵みのご支配の中で導かれています。これを一般恩寵といいます。さらに神を信じる者たちの中に神は住まわれ、神のみこころにかなうように心と生活を導かれます。ですからどのような試練の中にあっても「神は愛する者たちのためにすべてを愛働かせて益としてくださる」(ロマ8:31)「神は耐えられないような試練にあわせられることはない」(1コリント10:13)という父なる神へのゆるがない信頼をもって、人生を歩むことができるのです。これは幸せなことです。
使徒ヨハネは全世界の人々を愛しなさいとも、隣人を愛しなさいともいわず、もっと身近な信仰の家族である兄弟姉妹を愛しなさいと教えました。愛は形容詞ではなく動詞です。身近なところで実践しながら成熟し実を結んでいくものです。
「貧しい靴屋のマルチンは地下室の仕事部屋で靴づくりをしていました。彼のこころは悲しみと孤独で満ちていました。子を失い妻にも先立たれた独り身だったからです。ある時、イエス様が明日、会いに来てくださるという夢を見ました。次の朝、雪かきの友人が休んでいる姿を見て、部屋に招き入れあたたかいお茶を提供しました。昼過ぎ赤子を抱いた若い母親が寒さの中で凍えていました。彼は部屋に招き暖かいスープとパンを差しだしました。貧しく栄養失調になっていた母親はお乳もでなかったからでした。あたたかな毛布をプレゼントしました。午後、子供がお店のリンゴを1個盗んだため店のおばあさんが大声で怒鳴りつけていました。彼はリンゴ代を店のおばあさんに払い、少年にはやさしく諭してリンゴを手渡しました。こうして1日がいつものように過ぎていきました。夜、マルチンは祈りの中で「イエス様、今日はきてくださらなかったのですね」と尋ねると、イエス様は「マルチン、今日私は3度あなたを訪ねた。わからなかったのかね。あれはみんな私だよ。」と。
その日、マルチンが開いていた聖書の箇所にはこう記されていました。