**元気の出るダイアル**  2020年7月26日
 

使徒ヨハネは「もし私たちが互いに愛し合うなら、神はその人におられ、その人も神のうちにいます」と教えました。

創造主である神の中に、人は誕生し、生き、導かれ、存在しています。その生涯は信仰のあるなしにかかわらず、神の大きな恵みのご支配の中で導かれています。これを一般恩寵といいます。さらに神を信じる者たちの中に神は住まわれ、神のみこころにかなうように心と生活を導かれます。ですからどのような試練の中にあっても「神は愛する者たちのためにすべてを愛働かせて益としてくださる」(ロマ831)「神は耐えられないような試練にあわせられることはない」(1コリント1013)という父なる神へのゆるがない信頼をもって、人生を歩むことができるのです。これは幸せなことです。

 この幸せに招こうと神は私たちをキリストを通して招いてくださいました。そこにはひとつ条件が付いています。「もし私たちが互いに愛し合うならば」という条件です。神は愛の中において働き、愛は神とともにあるのです。なぜなら神のご本質は「愛」だからです。

 神の御子イエス様は「あなたの隣人を愛しなさい」と語りました。イエス様の弟子であったヨハネは若い日には気性が激しく、すぐにかっとなって怒り出すような瞬間湯沸かし器的な若者でした。そんなヨハネがイエス様とともに生きる中で愛に触れ、愛を学び、愛に生きるように変えられ、晩年は、「愛の使徒」ヨハネと呼ばれるほど変えられました。

使徒ヨハネは全世界の人々を愛しなさいとも、隣人を愛しなさいともいわず、もっと身近な信仰の家族である兄弟姉妹を愛しなさいと教えました。愛は形容詞ではなく動詞です。身近なところで実践しながら成熟し実を結んでいくものです。

 ロシアの文豪トルストイは「愛は神とともに」という短編小説を書きました。紹介しましょう。

「貧しい靴屋のマルチンは地下室の仕事部屋で靴づくりをしていました。彼のこころは悲しみと孤独で満ちていました。子を失い妻にも先立たれた独り身だったからです。ある時、イエス様が明日、会いに来てくださるという夢を見ました。次の朝、雪かきの友人が休んでいる姿を見て、部屋に招き入れあたたかいお茶を提供しました。昼過ぎ赤子を抱いた若い母親が寒さの中で凍えていました。彼は部屋に招き暖かいスープとパンを差しだしました。貧しく栄養失調になっていた母親はお乳もでなかったからでした。あたたかな毛布をプレゼントしました。午後、子供がお店のリンゴを1個盗んだため店のおばあさんが大声で怒鳴りつけていました。彼はリンゴ代を店のおばあさんに払い、少年にはやさしく諭してリンゴを手渡しました。こうして1日がいつものように過ぎていきました。夜、マルチンは祈りの中で「イエス様、今日はきてくださらなかったのですね」と尋ねると、イエス様は「マルチン、今日私は3度あなたを訪ねた。わからなかったのかね。あれはみんな私だよ。」と。

その日、マルチンが開いていた聖書の箇所にはこう記されていました。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25:40)

愛は神と共にそして、あなたとともにあるのです。

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