**元気の出るダイアル** 2020年10月9日
平安があなたにあるように
ヨハネは手紙を結ぶにあたって「キリストの平安」(Peace to you)を祈っています。教会では相互の交わりの中心として「平安」「あるいは平和」が強調されています。
カトリック教会や聖公会では伝統的に礼拝の中で「平和の挨拶」が行われています。「あなたに平和」(Peace be with you!)とお互いに挨拶をし、握手やハグをします。
イエス様も72人の弟子たちを派遣するにあたって、まず「この家に平安があるように」と祈るように命じられました(ルカ10:5)。「平安を祈る」挨拶という良い習慣を回復したいものですね。
クリスチャンが語る平安は言うまでもなくキリストの平安(ヨハネ14:27-28)であり、「不安と恐れ」に対応する言葉です。大きく4つの平安に分けることができます。
1.
罪の赦しからくる平安
この平安は十字架の平安であり、神との和解をもたらします。罪からくる不安と裁きの恐れはわたしたちのこころを苦しめますが、主イエスの血はすべての罪からきよめ、平安をもたらします。
2. 復活の力からくる平安です。
キリストの復活は、サタンのもつ死の力を破りました。サタンの敗北が決定的となりました。死の恐れという人類の隠れた長い戦いがいよいよ終結した平安とも言えます。ですからよみがえったキリストは「平安あれ」と弟子たちに呼びかけられました(ヨハネ20:19)。ユダヤ教からの迫害をいまなお恐れる弟子たちは戸をしめきっていました。数センチの板の扉で苦難や困難や迫害を防ぐことなどはできません。彼らにはそれしかできなかったのでした。そんな不安と恐れの真っただ中にある弟子たちの「真ん中に」キリストは立たれました。端っこではない。英語訳では、Jesus came and
stood in the midst。
キリストの平安は、不安と恐れのうずまく「どまんなか」に存在するのです。同心円の外側には悲しみ、痛み、苦悩、試練があっても、真中の中心円には「キリストの平安」が満ちているのです。それこそクリスチャンが経験するキリストの平安なのです。
3. 最後に祈りによる平安を覚えましょう。
クリスチャンには祈りという最大の武具があります。人生の試練の時、私たちには悩むだけ、嘆くだけ、つぶやくだけではなく、祈ることを知っています。まともに祈れないような無力な時でさえ御霊は私たちの内で、「アバ父よ」と祈ってくださいます。
「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」(ピリピ4:6-7)
キリストの平安が祈りの中で私たちを守り、支えてくださることはなんと幸いなことでしょう。
「わたしはあなたがたに私の平安を与えます」(ヨハネ14:27)
信仰はあなたに幸せをもたらします。健やかでお元気にお過ごしください。