**元気の出るダイアル**  2020年10月25日
 

神の言葉は時がくれば成就する 


ギネスブックによれば、自然妊娠で子供を出産した女性はアメリカのルース・キスラーさん57歳だそうです。神様に仕える祭司ザカリア夫妻には子がなく、すっかり年老いた今となっては希望を失っていました。そんな祭司ザカリアに御使いが現れ、妻エリサベツが男の子を宿すこと、そしてのちにイスラエル最後の預言者になることを告げました。ザカリアは「神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落ち度なく行っていた」
祭司の中の祭司、鏡のようなりっぱな人物でした。ところが、子の誕生を御使いに告げられても、にわかに信じることができませんでした。彼と妻とが長年、心をあわせて祈っていたことが、ついにきかれたというのにです! 何てことでしょう。熱心に祈りながら、それがきかれるとは信じていないのです。 でもこれがありのままの信仰者の姿であり弱さでもあります。私たちがしばしば経験するギャップです。

「信じる」ことと、宗教的に立派であること、道徳的に完全であることとはイコールではありません。「信じる」ことと、知っていること、あるいは、多くの経験や経歴を重ねていることとも一致するわけではないようです。

こう考えると、「信じる」ことはひとつのすぐれた「霊的な能力」と言えます。人間の理性や常識で神様と神様のことばと神様のなさる御業を「知ろう」とすれば、きっと「壁にぶつかって」しまい、先に進めなくなってしまうことでしょう。全能者なる神は「人間的なできる・できないの壁」などたやすく砕いて崩してしまうことがおできになります。神様は「知る」対象ではなく「信じる」対象なのです。

それゆえ、信じることは人間に与えられた「神に出会い、神と共に生きる」ためのもっとも優れた「能力」といえます。ですから復活されたイエス様も、疑う弟子のトマスに対して「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」(ヨハネ2027)と語りかけました。使徒ヨハネも福音書の中で繰り返し強調しています。「信じる者は滅びることなく永遠のいのちを持つ」(ヨハネ316)と。

大切なことであればあるほど、信じることを神は求めておられるのです。信じることの価値を低く見積もってはいけません。

御使いガブリエルは「わたしの言葉は時が来ればかならず成就する」と励ましました。あなたも多くの祈りをささげ、願いをごとをもっておられることでしょう。神様がそのことに対するお約束のことばを与えてくださっているなら、信じ、待ち望みましょう。神は約束されたことは必ず実現してくださいますから。もしまだ約束のことばを受けていないなら、静かに聖書を読みながら、信じて待ち望みましょう。

信仰はあなたに幸せをもたらします。健やかでお元気にお過ごしください。

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