**元気の出るダイアル**  2020年12月20日
 

「その名はインマヌエルと呼ばれる(訳すと、神は私たちと共におられるという意味である)」(マタイ1:23)

みなさん、クリスマスおめでとうございます。教会では24日のクリスマスイブにキャンドルサービスを行います。コロナ禍の中で苦しんでいる患者さん、命がけで治療に当たっておられる医療従事者の方々、経済的な困窮の中であえいでおられる方々のために、心を合わせて祈る静かな夜をご一緒にもちたいと心から願っております。

人となってこの世界に来てくださった神の御子キリストは「イエス」という名と「インマヌエル」と呼ばれるという名をもっておられました。

イエスという名前には、「ご自分の民を罪から救う救い主」(21)となられるという意味があります。病気から救うには専門的な医療技術や薬、人々を貧しさから救うには豊かな富、外国の侵略から救うには軍事力・外交力が必要です。無知から救うには学問・教育が必要です。しかし人々を罪から救うには何が必要でしょうか。

その前にそもそも罪とはなんでしょうか。個人的なもろもろの犯罪や道徳的な過ちも含みますが、聖書が教える根本的な罪とは、神に対する背き、不従順、神などはいないと神を締め出してしまう人間の傲慢さを指しています。原語では「的外れ」という意味になります。

ですから、反対に、救いとは「的を正しく射る」こと。つまり神様との正しい関係に立ち戻ること、失われた神様との交わりを回復することを意味します。このような「罪からの救い」のためには「罪を赦す聖さと権威」が必要とされます。罪の赦しを宣言できるのは「聖い神の御子イエス」様お一人だけなのです。神の御子は人となってこの世に来られ、33年の聖い生涯を歩み、十字架に自ら進んでかかり、身代わりとなって刑罰を受け、すべての罪、咎、汚れを償ない、「赦し」を宣言し、成就してくださいました。

1ペテロ224「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

自分の罪深さ、愚かさ、欲深さ、醜さ、エゴイズムさに悩み、人知れず良心の呵責やうずきを抱えて苦しんでいる人がいます。神様は罪を憎まれますが、罪びとを愛しておられますから、まずそのような自覚と傷みを抱えている人を「キリストのもとに来て「赦しと救い」を得なさいと招いてくださったのでした。

マタイ1128「疲れた者、重荷を負って苦労している者は私のもとに来なさい」

マルコ217 「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

あなたもイエス様のもとに来て、赦しと平安と救いをお受けになりませんか。

さて神の御子・救い主イエス様のもう一つの名前はイン(共に)マヌエル(神がともに)」と呼ばれます。十字架で死なれたイエス様は、墓の中で静かに眠っておられるのではなく、3日後に復活されました。キリストは死んだ神ではなく、生きておられます。生きている者とともに歩まれる神です。

私たちの人生において、いつまでもともにあるのは、妻でも夫でもありません。健康でも若さでもありません。もちろん地位や名声や財産ではありません。自分の支えにしていた賢さや知識でさえも、やがて多くを忘れていきます。一度しかない地上での人生においていつまでも「ともにいる」と約束してくださるのは「神の御子・救い主イエスキリスト」。このお方は、生涯、あなたがどこに行くにも、あなたとともにおられるインマヌエルの神なのです。

クリスマスの恵みがあなたとともにありますように。

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