**元気の出るダイアル** 2021年11月28日
ルカ2:11-12
今日、ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは布にくるまって飼い葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これがあなたがたのためのしるしです。
いよいよ2021年のクリスマスを待ち望むアドベントの期間に入りました。クリスマスは2000年ほど前、ユダヤの国のベツレヘムに、神の御子イエスキリストが誕生したことを祝う日です。世界中でお祝いされています。
キリストは立派な王宮や厳かな大神殿の中で生まれたのでなく、粗末な家畜小屋の飼い葉おけの中で産声をあげました。それは神の御子の「謙遜さ」と「寛容さ」を象徴しています。
ですからマリアとヨセフのもとを、最初に訪れたのは社会的に見捨てられていた貧しい羊飼いたちや、異邦人として差別されていたペルシャの国からやってきた博士たちでした。
王宮や神殿の中では訪問することも会うこともできませんでした。
キリストのもとにはユダヤ人ばかりでなくローマ人、ギリシャ人、裕福な貴族階級の人や貧しい奴隷階級の人々、宗教的に差別されていた病人や女性たちも集い、お互いを「神の家族」「仲間」と呼び合いました。「謙遜さと寛容さ」は、それぞれの違いを受け入れ認め合う「多様性」と「一致」を生み出す原動力と言えます。今流のことばでいえば、「ダイバシティとインクルージョン」(D&I)と表現できます。
自分たちと異なるものを嫌い、差別し、排除していく非寛容さが拡大していく風潮が広がっています。違いを受け入れ、認め合い、ともに生きてく「謙遜と寛容さ」は、神の国の豊さそのものといえます。
これからの宇治バプテスト教会にも、韓国や中国のみならず東南アジアの諸国からのクリスチャンや、様々な身体的障害を持った人々、あるいは精神的疾患や発達障害をもった個性あふれる人々がさらに集うように
なることでしょう。イエス様から私たちはますます「謙遜さと寛容さ」を学ぶ必要があります。
2年近くに及ぶコロナ禍の中で、リーマンショックの時のような経済的な打撃とは異なる、精神的な試練を私たちはくぐってきました。京都は今、感染者数が1ケタ台と安定していますが、この先はわかりません。
でも「神は耐えられないような試練」に合わせることはなさいません。トンネルの入り口は暗くても、出口は明るいのです。西洋には「雨の降ったあとに虹が輝く」という言葉があります。虹の輝きを見るには試練が必要なのです。まもなく迎えるクリスマスと2022年のあたらしい年を、希望をもってご一緒に待ち望みましょう。