
「しかし聖霊を冒涜する者は誰も永遠に赦されず、永遠の罪に定められるのです」(マルコ3:29)
12弟子を任命したイエス様は山を下り再びカペナウムの町へ戻り、おそらくペテロの家で神の国の福音を語り、病める人を癒されました。「食事をするひももない」(20)ほど、惜しみなく時間をささげました。2組の来客がありました。エルサレムからわざわざイエス様の働きを調べに来た選りすぐりの律法学者指導者の調査隊メンバー(22)。もう一組はナザレからイエス様を村に引き戻そうとやってきた身内たち(21)、つまりイエス様の家族や親族たちでした。その中には母マリアもいました。親族たちはイエス様が「おかしくなった」という噂を聞いて心配になって連れ戻そうとしたようです。家族は大切なありがたい存在ですがときにはむしろ重荷になったり悩みのもとになったりするものです。肉においてはイエス様を幼い時から誰よりもよく知っている親しい存在ですが、霊においてはイエス様のことを理解できず、かえってイエス様の働きを妨げてしまう存在になっています。心配のあまりに家族愛の強さのゆえに妨げになってしまうのは残念なことです。
さて、エルサレムから派遣されてきた調査隊一行は、イエス様のなさる御業を目撃し、大いなる力を認めたものの、最終的にとんでもない判断をくだしました。「彼は、異教の悪霊、ベルゼブルに憑かれている」と断言したのです。ベルゼブルとはシリヤの神の名でのちには悪魔サタンを指す言葉となりました。イエス様の不思議な力ある働きは、イスラエルの神の霊によるのではなく、こともあろうに悪魔の力によるのであると、意図的に事実をゆがめて群衆を誘導しようとしたのです。
イエス様は、彼らに対して「サタンが手下である悪霊を追い出しているならそれは内部分裂を引き起こしていることになるではないか」(24)と矛盾点を鋭く突き、はっきりと、次のように宣言したのです。「サタンに支配され、サタンに隷属させられている人々を私は解き放ち、癒しと救いを与えている。強い人であるサタンを縛り上げ、打ち負かしてサタンに支配されていた人々を神の国へと招いて取り戻しているのだ」(23-27)と。そして28節では驚くべき真理を警告しました。
「どんな罪も赦していただける。神を冒涜することを言っても赦されるが、聖霊を冒涜する罪は永遠に赦されず、永遠の罪に定められる」(28-29)と。永遠に赦されない罪があるとはっきりイエス様は断言しました。みなさんの中には、ビビる人がいるかもしれません、私は大丈夫だろうか、急に不安になった人はいませんか。大丈夫でしょうか。
永遠に赦されない罪とはどんな罪でしょうか。殺人、強盗、放火、強姦、死体遺棄、詐欺、無差別テロ。それとも、前科何犯から永遠に赦されなくなるのでしょうか?イエス様は「七度を七十倍するまで赦しなさい」言われました。どう整合することができるのでしょうか。
1. 罪の赦し
聖書の教えに耳を傾けてください。聖書は神の御心を伝えています。
2. 永遠に赦されない罪とは
では、永遠に赦されない罪、すなわち聖霊を汚す罪とはどんな罪でしょうか。
1)まず何よりもこの罪は「イエス様に向かってあなたは悪霊の頭サタンの霊につかれている」と断言した、2000年前のイエス様に対峙した律法学者たちに限定していることを理解しましょう。汚すとは冒涜するという意味です。なじり侮辱し否定しさげすむことです。神の霊、聖霊に満たされたイエス様は、聖霊の力と御霊の愛に満たされて、病めるものを癒し、悪霊に苦しめられていた人々を解放し、イエスを信じる者の生活と人生を、この地上にあってすでに神の国に生きるという喜びの中へ招かれました。ところが、学者たちはまっこうから、イエス様の中に働く聖霊を侮辱し、悪霊の働きだとまですり替え断言し、完全に否定したのです。これは、神と神の御子と聖霊に対する侮辱でした。へブル10:29には「恵みの御霊を侮る者はどれほど重い処罰がくだるでしょうか」とあります。
2)第二に、聖霊を汚す罪は、クリスチャンには関係しません。なぜならクリスチャンとは聖霊によって「イエスは主であると告白をした」者たちだからです。聖霊を汚すどころか聖霊に守られ、支えられ、導かれ、促され、「イエス様を救い主、私の神」との告白へ招かれた一人一人なのです。そして今も御霊に導かれ続けているからです。
1コリント12:3「聖霊によりイエスを主と告白します」
ロマ5:5 「私たちに与えられた聖霊によって神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」
ガラテヤ5:6-7「アバ父よと叫ぶ御子の御霊を心に遣わされました」
ガラテヤ5:35「御霊によっていきているのなら、御霊によって進もうではありませんか。」
3)第三に、聖霊はまだキリストを信じていない人々とは特別に深く関係します
ヨハネは、聖霊をパラクレートス(傍らで私たちを守る者)と呼びました(ヨハネ16:7)。14-16章で5回も用いられています。聖霊は私たちにとって弁護士のような存在です。
しかも無料でいつでも、親しく守り、助けてくださいます。カトリックのある神父が「どの異教徒にもどの無神論者にも聖霊は一番の味方です。そのことを知っているわたしたちはこの聖霊を尊敬し、頼りに思い、親しくしなければならないと思います。
聖霊は、わたしたちの最大の、そして最良の友です。 御父がイエス・キリストを通じて、聖霊を示してくださったわけがそこにあります。 わたしたちが聖霊に信頼する限り、わたしたちが世界の何処にいようと、どんな境遇にいようと、変わることのない優しさと確かさで、わたしたちを導いていただくことが出来ます。
わたしたちはそのような神を必要としているのではないでしょうか」と記しています。聖霊は、愛の御霊、真理の御霊、和解の御霊、キリストの御霊とも呼ばれ、私たちに神の恵みと祝福をもたらしてくださるお方です。聖霊によって既に十字架の上で成し遂げられた罪の赦しが、私たちのものとなるのです。聖霊によって賛美と感謝があふれるのです。聖霊によって不安や恐れが平安と慰めに変えられるのです。聖霊によって永遠の命に至る希望が確かなものとなるのです。聖霊によって、まことの礼拝をささげるものと導かれるのです。食べ物は胃袋に入ります。み言葉は魂という目に見えない袋に聖霊によってストンと入ります。「あ!体験」といいます。
ですから、このお方を受け入れなければ最大の祝福を失うことにもなります。ペンテコステの日に弟子たちの群れに聖霊が注がれ大胆に語り始めることができました。「罪を赦していただくために悔い改めて、イエスキリストの名によってバプテスマをうけなさい。そうすれば賜物として聖霊を受けます」(使徒2:38)と。聖霊は天の父なる神からの最大の贈り物、プレゼントなのです。聖霊は十字架で死なれたキリストから届けられた最大の愛が込められた形見分けともいえる贈り物です。このプレゼントボックスの中にあらゆる恵みと祝福が込められ詰まっています。聖霊はキリストを信じる者にも、信じようとする者にも、最大のそして最良の友なのです。一番の味方なくして、さまざまな困難や敵に取り囲まれて一人で生きていかなければならないのはつらいことじゃないでしょうか。
「寝床に長くいると歩く力を失う、長く暗闇の中にいると見る力を失う。いつまでの神の霊の導きを拒否しているならついには真理を認めることができなくなる」(バークレー)。だから聖霊が働きやすいように心を開いて、柔らかな心で、より頼みましょう。このことをイエス様は「幼子のようにならなければ」と表現しました。御霊の働きを迎え入れましょう。方向転換をしてイエスを信じようと心を決めるのです。そのあとは聖霊が一番良い方法へとすべてを導いてくださいます。
良い方法があります。「いつまでに」と日を決めることです。記念となる日を選ぶのもよいことです。告白してしまうのです。日を決めないと先延ばしになる。私たちは経験からわかっているはずです。新しいパソコンを購入したにもかかわらずほぼ半年箱もあけずに置いたままでした。ある日、「えい!今日開けよう」と心を決めました。あんのじょう通信環境の設定でつまずいてストップ状態。マニュアル呼んでもわからない。高杉君呼び出そうか?でも僕にもプライドがあるし。。でも開けた以上、やるしかない。2回徹夜してやっと完成させました。今は快適に使っています。パソコンの箱を開けたらスタートできる。あなたの心を開いたら、御霊の働きがスタートします。
「そのうちにという列車は、遅かったという終着駅につく」という格言があります。聖霊を拒み、侮り、汚す罪ではなく、聖霊とともに導かれて生きる信仰に歩みましょう。聖霊は助け主であり、「私たちの最大のそして最良の友なのです」から。聖霊がすべてを主イエスのみ旨のままに導き、良きことをなしてくださいます。
「神の恵みを無駄に受けないようにしてください。見よ、今は恵みの日、今は救いの日です」
