
「神の国はどのようなものといえばよいでしょうか。何にたとえたらよいでしょうか。それは、からし種のようなものです」(マルコ4:31)
イエスはマルコ4章で3つの種まきのたとえ話をされました。 1番目は蒔かれた種が落ちた4つの畑のたとえ。 麦の収穫倍率は低く、当時でも7倍程度といわれていました。ところが神の言葉の種の収穫倍率は30倍から60倍さらには100倍ともイエス様は語りました。本来100倍ものすばらしい実を結ぶ言葉できるのに、道端、石地、茨の地に落ちてしまい、種がその本来の価値を十分に発揮できないとすれば、とても残念なことですねという話です。 2番目は地に蒔かれた種は「初めに芽が出て、次に穂が出て、次に穂の中に実が結ばれる」という順番・プロセスがあるということです。 つまり神様の御業には時があり、私たちが勝手に神の時を早めたり、あるいは遅くしてしまうことはできない。神はお自分の約束を必ず成就される。それゆえ、信じて待ち望みましょうというメッセージ。 3番目が今日のからし種の譬えです。
1. からし種とは
からし種はほんとうに小さな種です。お米の粒が約5ミリ、ゴマが3ミリ、からし種は0.5ミリ。 ごまの1/6の大きさです。ところが成長すると3mから5mの木になります。黄色のラッパ型の花を咲かせる草です。青木姉妹の家庭集会に集っている3人の方が、今、種を鉢に植えて育てています。ですからからし種の木は、低い灌木で「藪」を作ってしまうと言われています。その種は小鳥たちの格好の餌になります。庶民にとって葉は煮て食べたり 生のままサラダにしたり 辛みの調味料として用いたり、油を取ることもできるそうです。薬にも用いられ腹痛や蛇やサソリに噛まれた時の解毒剤にもなると言われています。ところが繁殖力が非常に強いために、野生化してしまうと、どんどんと根を張りどんな土地であっても境界線を破って広がってしまい、取り除くことがほぼ不可能と言われ、「やっかい物」ともみなされていました。 からし種は高く大きくたくましく育つイメージを思い浮かべがちですが、実はそんなに高くなく、むしろ横にどんどんと広がってしまうという特徴があるそうです。
イエス様がからし種の広がりを神の国の譬えとして用いた時、横への広がりをイメージしていたのではないでしょうか。聞く農民たちもそう思ったことでしょう。主イエスキリストを信じる者たちの共同体としての教会は、後の時代、ユダヤ、サマリア、地の果てにまで、ユダヤ人、サマリヤ人そして異邦人という民族の壁を乗り越えて、アジアの西の果てからローマ帝国経由でヨーロッパ大陸からアフリカ大陸、アメリカ大陸へ広がり、ついにはアジアの東の国の日本にも宣教師が送られ教会が形成されてきました。国境を越えて、民族の壁を越えて広がったそのイメージと重なります。世界総人口の約3分の1。33%近くがイエス様を救い主と告白し生きています。時の支配者から厄介者扱いされ、数々のすさまじい迫害の嵐の中に遭遇しても、聖書も教会も滅び去ることなく、ますます広がり続けてきました。
18世紀のフランスの啓蒙思想家のボルテールは「あと100年も経てば、聖書などは博物館でしか見られない代物になる」と言ったそうです。ところが今日、彼の家は地下室から屋根裏まで、世界聖書協会の倉庫になって聖書で埋まっていると言われています。
2. 神の国に招かれる者たちの豊かさ
からし種は成長すると 藪のような広がりを見せ生い茂り、多くの小さな小鳥たちが宿り、そこで巣を作るそうです。 この場合、数がたくさんというよりは色々な種類の小鳥たちがそこに住みつくと考えることができます。 小鳥の数が多いことも豊かさですが、様々な種類の小鳥がそこに存在していることもすばらしい豊かさの一つと言えます。 英国の聖書学者バー クレーが興味深い話を紹介しています。
有名な画家に大聖堂のステンドグラスの依頼がありました。彼が絵を完成させ、眠りについた夜、アトリエで物音がして目覚めた。見に行くと見知らぬ男が絵筆とパレットをもって絵を描き加えている。驚いて「私の絵がだめになる」と制止すると「あなたこそ絵をだめにしてる。たくさんの絵の具があるのに、なぜここに描かれている子供たちの顔はみな白いのだ」と彼が答えた。「画家が「あなたはいったい誰ですか」と問いかけると、彼は「私は昔、幼子たちをわたしのもとに来させなさい」と言ったものと答えた。その時、この画家は眠りから目覚めた。彼は起きると、子供たちの顔を黄色、赤茶色、白色、黒い色に塗り替えた。これこそ神の家族、神の家の姿である。
イエス様はすでに多様な人々を神の国へ召してくださいました。「私が来たのは正しい者を招くためではなく罪びとを招くためである 」と。神の国の特徴は「その多様性という豊かさ」にあります。 神の国は単一民族、単一国家ではないと言えます。 空に多くの鳥が飛び交うように地に多くの花が咲き乱れるように、海に多くの魚たちが満ち満ちているように 神の国は多様性に満ち満ちています。それこそが神の創造の御業です。それゆえ、神の御国の民はこの地上の生活において「多様性」を受け入れ、認め合い、喜び、違いを超えてともに生きる共存の精神をはぐくみ、寛容さという御霊の結ぶ実を養う必要があります。 自分と考え方が違うものを排除したり、差別したり、あるいは自分だけが正しいと主張し、特権意識を持って他を見下げたりするようなこころの偏狭さは、御国の民には相応しくありません。からし種が成長したときには、豊かな種類の小鳥たちがそこに宿り、暮らしていることを覚えましょう。
3. 神の国は小さいけれども大きい。 しかし大きいけれども小さいのです
神の国は2000年前、すでにキリストの誕生とともに始まりました。イエス様は「神の国が近づいた」と宣教され、「神の国はあなた方のただ中にある」 と宣言されました。神の国とはキリストがまことの王として、恵みと愛をもって支配する世界を意味します。ナザレのイエスという 人となられた真の神、神のひとり子の存在は、人々の目には隠され、取るに足りない、からし種にも及ばない小さな存在にすぎませんでした。 神のひとり子がすでに私たちの世界のただ中に来られ、ともに歩まれ、御国の福音を語り、悪霊を追放し、癒しと救いの御業をおこなっておられた。これは驚くべき大きなことではないでしょうか。しかし、この世の人々にはキリストの存在はあまりにも小さな存在にすぎませんでした。御父とともに 天と地を創造された生ける神の御子が すでに私たちの中に来られたのです。にもかかわらず気がつかない、見えないのです。この事実を知らないことは本当に残念なことではないでしょうか 。
難破した船がアマゾン川の河口にまで漂流してしまい救助を求めました。船員たちは「とにかく水をくれ」と叫びました。 すると救助に当たった船員が「水ならその足元にいくらでもあるじゃないか。ここはもう海ではなくて広いアマゾン川の中まんだ」と言ったそうです。すでにイマ、ここに存在しているにもかかわらず気づいていないのは乏しいこと、なんともったいないことでしょうか。
御国の王である主イエスキリストがすでにこの世界に与えられている。最も偉大なお方がすでにおられるのに気づいていない。からし種一粒よりもこのお方の存在は小さな者、とるにたりない者とみなされ、捨て置かれているのです。
御国の民である私たちの目にも、主イエスキリストの存在が小さく思えてしまう、見えてしまうことがあるのではないでしょうか。直面する困難や問題や自分自身が大きくなってしまっていないでしょうか。あなたの信じる神はそんなに小さい神なのでしょうか。目に見えないほど小さな神なのでしょうか? いいえ、私たちの信じる主イエスキリストは御父とともにこの天と地を創造された大いなるお方、全能の神、偉大なお方であることをこころから賛美しましょう。
