イ−スタ−特別礼拝 4/20/2003
主題「主イエスはよみがえられました」 聖書箇所 マタイ28:1−7
今日は、約2000年前に十字架で処刑されたイエスキリストが墓に葬られた後、復活された出来事を記念する祝日、イ−スタ−の日です。欧米ではこの朝、「主はよみがえられた」と挨拶するそうです。けれどもキリストが復活されたと聞いても、「信じられないな、作り話しじゃないの? 」と疑問に思う方も多くおられると思います。「復活を信じるキリスト教には知性も教養もないな」と感じてしまう方もおられるかもしれませんね。しかし、過去2000年間のキリスト教の歴史は、「キリストが復活されたという驚くべき知らせ」を語り続けてきた歴史であり、キリスト教が立つか倒れるかは、復活の信仰にすべてがかかっています。
「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(1コリント15:20)
聖書に記されている通りキリストがよみがえられたと信じるか、そんなことはありえないと信じるか、どちらかを信じるしかありません。あなたはどちらを信じますか。日本を代表する知識人の多くにクリスチャンがいます。たとえば戦後の日本の民主主義教育の基本的柱となった「教育基本法」の草案は東大の総長であった矢内原忠雄を初めとするクリスチャンたちによって作成されたと言われています。また多くの有名大学がミッション系であったりします。彼らもまた「キリストの復活」を信じる信仰に堅く立ち続けました。このように教会とクリスチャンにとって「キリストの復活」は信仰の中心に位置付けられているのです。では、キリストがよみがえられたことを信じる復活信仰は、私たちの人生に何をもたらすのでしょう。
第1に、キリストを神と信じる信仰が強められます。
復活という驚くべき出来事はキリストが人間ではなく神であることの明白なしるしです。人間が完全に医学的に死を宣言されてから3日後に甦ることはありません。重い病気が奇跡的に回復したり、ガンが消えてしまったりということはしばしばにします。しかし人は一度肉体の死を宣言されたならば、よみがえることはありません。それが人間であることの証明でもあります。ですからキリストがよみがえられたということは、キリストが単に一人の人間ではなく、神であったことの最大の証明となっています。キリストは神ですから、永遠の命をもっておられ、信じる者を永遠の命に生かすことがおできになるのです。永遠の命をもっていない者が他の人々に永遠のいのちを与えることなどできません。イエス様は「わたしはよみがえりでありいのちです。わたしを信じる者はたとえ肉体の死を迎えても永遠にいきることができる。あなたはこれを信じるか。」と語っています。
日本には約19万の宗教団体があり、85万近い神々や仏の名前がありますが、人間がつくりあげた宗教的産物を信じても結局は空しいさが残ります。願わくはあなたに唯一のまことの神、あなたに永遠の命さえも与えることができる唯一の神、救い主イエスキリストを信じていただきたいのです。キリストは死の力を打ち破って「よみがえられました」。だから私たちはイエス様を私の「神」と信じることができるのです。
第2に、神の大きな力に私たちの人生も捕らえられます。
キリストを死からよみがえらせた神の大能の力は、神を信じる私たちにも及びます。キリストが死からよみがえられたように、キリストを信じるならば、あなたにも神の大能の力が同じようにはたらき、あなたも永遠の命に甦ることができるのです。
今日この中に最近、愛する人をなくされた悲しみの中におられる方がいらっしゃったら、イエスキリストの復活を信じていただきたいのです。キリストにあるならば、死は終わりではなく新しいいのちの始まりだからです。キリストにあるならば墓場が最終駅ではなく天国が最終駅とかわります。
キリストがよみがえられたとき、墓の入り口をふさいでいた大きな岩がわきに転がされていたと報告されています。洞窟の入り口をふさぐ大きくて重い岩ですから人間の力では動かせませんでした。マタイは「天使が降りてきて」(28:2)石を転がしたと超自然的力が働いたことを記しています。神の全能の力が大岩を動かし、キリストを死者の中からよみがえらせたのでした。
「また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせて・・・」(エペソ1:19-20)
今、あなたの人生に自分の力だけではどうにも動かせないという大きな問題をかかえておられる方はおられませんか。あなたの行く手を立ちふさぎ、出口を閉じてしまっているように思える大きな岩がありませんか。どうにも動かない困難、試練、問題がありませんか。死者の中からキリストをよみがえらせた神の御力、大岩さえも動かした神の御力は、あなたの問題や困難を動かす力をもっておられます。ですから決して、人生に失望したりあきらめたりする必要はありません。希望をもって最後の答えを見るまで歩くことができます。
オ−ストリアの精神科医ビクトル・フランクルが書いた名著「夜と霧」を今年二回読み直しました。ナチスドイツの捕虜収容所での過酷な日々の中にありながら、フランクルは最後までそれでも「人生には意味がある」と信じて行動しました。そこには人知を超えた神の大能の御力によって、守られつつ救出されるまで数奇な運命を辿ったことが綴られています。人生には人間の力だけではなく神の御力が働いていることをこの本は教えてくれます。
「神の御力を知り、神のめぐみをほめたたえる」こと、人生はそのような意味深い信仰的側面をもっています。神を待ち望み、信仰に生きることは確かに力なのです。
キリストは神の大能の御力によって死者の中から「よみがえらせました。」ですから神を信じるならば、あなたの人生もまた神の大能の御力にとらえられ守られ支えられることができるのです。
イースターの朝、私たちは、永遠のいのちに人を生かすことがおできになるまことの神、イエスキリストとの出会いを経験しました。さらに試練困難の大岩さえも動かすことができる神の御力に支えられた人生がキリストにあって用意されていることを学びました。
今日があなたにとって新しい出発の日でありますようにと心から願います。