7月のメッセ−ジ
「イエスはますます知恵が進み、背丈も大きくなり、神と人とに愛された。」 (ルカ2:52)
6月18日は、「幼児祝福式」礼拝をささげました。現在11名の幼子たちが信徒の家庭に与えられています。これらの幼子たちの健やかな成長をご両親と共に見守り、お祈りしてゆきたいと願っています。
イエス様は、ますます知恵が進み(知的・精神的成長)、背丈も伸び(身体的成長)、神に愛され(霊的成長)、人に愛され(社会的成長)、健やかに成長されました。これら4つの領域がバランスを保って成長してゆくことによって、豊かな人間形成がなされます。
特に大切なのは、「神に愛される」という霊的な成長の領域です。この霊的成長をサポ−トする尊い働きを、教会とクリスチャンの親は神様から委ねられています。なぜなら、神を知らないこの世は、神の恵みを語ることばを持っていないからです。
霊的な成長は、神に愛されている恵みを喜ぶとことから始まります。神に愛されている恵みを知らないで、どうして神を愛することができるでしょうか。そのような人は、「神を愛する」喜びがいつしか「神に愛されるために何かをしなければならない」という強迫的な思いに変わってしまい、不安と焦りに陥ってしまいます。そのような生き方を要求する愛はむごい愛といえます。神の愛は私たちに安息を与える愛、無条件の愛です。
人に愛されることよりも、神に愛されることを喜びましょう。日本の社会は神を意識した罪の感覚よりも、人を意識した恥の感覚がとぎすまされています。ですから他人からどう思われているか神経を使い、他人の評価が気になって仕方がないのです。気になるからつい他人と比較してしまうのです。自分を脇に置いて、他人と比較することほど空しいことはありません。
私は二人の子供の父親ですが、不完全な親であると認めざるをえません。けれども、私は子育てよりも個育てをさせていただこうと、今日まで息子たちに接してきました。そして私が理解している子供の個性を、周囲の声によって見失わないようにと心がけてきました。他のことはすべて「成長させてくださる神」に委ねればよいのですから。