11月のメッセ−ジ 2001年
「主イエスのまなざしに生かされる」
「 主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは「今日、鶏が鳴く前に、あなたは3度わたしを知らないと言う」と言われた主のことばを思い出した。」(ルカ22:61)
1 ペテロの失敗
イエス様が逮捕され裁判にかけられた夜、ペテロは失敗の連続でした。
イエス様が一緒に祈ってほしいと願われたのに、睡魔におそわれ祈ることができませんでした。イエス様が逮捕された時、大祭司のしもべの耳を切り落としてしまいました。その大祭司の中庭に潜入して、イエエ様が尋問される様子を伺っていたペテロは、「あなたもイエスの仲間だった。」と周囲の人々から指さされ、恐ろしくなって「イエスなど知らないと3度も激しく否んでしまいました。しかも、つい先ほどまで「たとえ牢の中であっても、あなたについてゆきます」と大見えをきったばかりだというのに・・・・。
まったくさんざんな夜でした。御心を求めて祈ることもせず、すく゜に感情的になって相手を傷つけてしまう。肝心なところでイエス様を証しできない。そんなペテロの失敗は、私たち一人一人の失敗でもあると思います。そして私たちは成功したことよりも、さらに多くの失敗を重ねてきたのではないでしょうか。
2 イエス様のまなざし
そんなしくじりばかりのペテロでしたが、イエス様は責めることも、裁くことも、見捨てることもなさいませんでした。
ペテロを振り返られたイエス様のまなざしは、弱さを受け入れ、赦し、さらに将来を期待する澄んだまなざしでした。
「わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。あたなが立ち直ったなら、兄弟たちを励ましてあげなさい」と、イエス様が語りかけてくださった言葉を思い出して、ペテロは激しく泣きました。自分で自分を罰するのでなく、イエス様のいのちのことばにうち砕かれて悔い改めに導かれることは幸いなことです。
弱さを見せまい、しっかり強く、がんばろうと私たちはつい力みがちになります。ところが、そのような人間的な決意ほどあやふやなものはありません。状況が悪くなれば、自己保身に傾き、いとも簡単に自分の語った言葉をひるがえしてしまうからです。
十字架の上ですべての罪を赦してくださったイエス様によって、弱さも愚かさもふがいなさも、みな包まれています。イエス様のまなざしは今日も変わることはありません。自分を見るのでなく、あなたをそれでも愛しぬかれるイエス様のまなざしをあなたも見つめましょう。
2001年11月4日