1月のメッセ−ジ 2001年
「こういうわけでいつまでも残るのは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているものは愛です。」
(1コリント13:13)
新年あけましておめでとうございます。二十一世紀への新しい始まりです。みなさまにとって、この一年が祝福に満ちた幸いな年でありますようにと心からお祈り申し上げます。
さて、昨年の社会事情を象徴するキーワードは「閉塞感」でした。経済、政治、教育の分野でもなかなか展望が開けず、人々は行き詰まり感に気力がそがれる思いを致しました。しかし二十一世紀は活力を回復する時代ではないでしょか。時代を先行するNHKの大河ドラマも今年は、若干十八歳で蒙古来襲という国難に立ち向かった北条時宗の生涯を制作放映します。時代が新しいリーダーシップと活力を求めているからだと思います。
私たちは宇治教会が人々に元気を与える教会でありたいと願っています。礼拝を通し人々がキリストのことばを聞いて霊的な元気を受け、励まされ、立ち上がってゆく。そんな力をイエス様から頂くことができる場であればと願っています。そこで、今年の標語は「元気の出る教会」としました。
元気は喜びと感謝から出てきます。しかし、境遇に依存する喜びや感謝はすぐに、愚痴や不満に変わってしまいます。うまくいってる時は喜びもあふれますが、思い通りに物事が進まないと不平がこぼれ、いつもいらだち、「感謝」が「カンシャク」に変わってしまいます。本当の喜びと感謝は移り変わる境遇の中にではなく、永遠なる神の中に見いだすことができます。
元気さとは、希望と愛に生き生きと生きている姿を指しています。ところが人間的な希望はしゃぼんだまのように消えやすく、人間の愛は必ずしも幸福をもたらしません。愛が憎しみに、希望が失望に変わってしまうことを私たちは人生で経験しています。信仰は希望と愛に先立っています。つまり、信仰による希望、信仰による愛が、私たちに元気をもたらすのです。 「神に望みをおくように」(詩七八・七)
イエス様を信じる信仰は私たちに魂の活力、霊的な元気をもたらし、この一年を喜びで飾ってくれることでしょう。 (2001年・元旦礼拝)