8月のメッセ−ジ 2001年
「追悼と慰霊を峻別して平和を祈る
「 カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい。」
(ルカ20:25)
1 政治への関心を高めよう
今年は酷暑が続いており、平均温度はエジプトのカイロより高いそうです。政治の世界も今たいへん「ホット」になっています。 聖域なき構造改革を主張する小泉首相の登場で、先の加藤政変の腰砕けで広がった政治への失望感、閉塞感が一気に打破された感があり、抜本的構造改革、経済再生という内政藷問題、歴史教科書、靖国神社公式参拝、京都議定書批准などの外交問題を巡って今までになく活発な議論が展開されています。
言語曖昧意味不明瞭と揶揄された歴代首相と異なり、短いフレーズで断言的でわかりやすい表現をするスタイル国民世論を背景に政局を主導する手法などが国民の人気と支持を集め、大きな期待が寄せられています。 一過性の「純ちゃんフィーバー」で終わらせないで、政治に無関心と言われている若い世代も、しっかりと21世紀の日本の政治を考える好機にして頂きたいと願います。
2 追悼は公式に、慰霊は個人に
小泉旋風といわれるように、何もかもが一斉にたなびき、熱狂し、集団的に行動する姿に私は正直、恐さを覚えました。もっとも熱しやすく冷めやすいことは自明ですが・・。 さらに、ゆるやかなナショナリズム・国家主義の台頭傾向も気になるところです。「日本は天皇を中心とした神の国」発言に始まり、歴史教科書問題、靖国神社公式参拝問題に至るまで、右派系政治家や学者たちによって国家・民族主義的傾向が意図的に前面に押し出されつつある印象を強く感じます。
小泉首相は「靖国神社の公式参拝に反対する人の気持ちがわからない」と心情論に訴え、戦死者を国が慰霊するのは当然だという帰結に世論を導びこうとしています。首相の感覚は、死者の慰霊という素朴な日本人のアニミズム的宗教感情に近いものといえます。
戦没者への慰霊・参拝は憲法論議だけで割り切れない、民衆の宗教的共同体意識が根底に横たわっている複雑な問題です。しかし、追悼と慰霊を峻別しなければなりません。
軍国主義国家の中心的宗教施設であった靖国神社への公式参拝は、憲法の政教分離原則の精神に反するという冷静な法理念と2000万人の戦争犠牲者をアジア諸国に与えたという反省に基づいたすぐれた国際感覚をもって、さらに世界に類をみない平和憲法を擁する国を代表する首相として、熟慮「断念」して頂きたい。慰霊は個人の信仰に委ね、総理には戦争責任と謝罪に触れた追悼の辞を公式に誠意をもって表明して頂きたいと要望します。
2001年8月5日
(関心のある方は、「靖国神社公式参拝問題歴に関する小論文」をご覧下さい。)