3月のメッセ−ジ   2002年

「実を結ばないいちじくの木のたとえ」 

「主あなたは赦しの神であり、情け深く、憐れみ深く、怒るのに遅く、恵み深くあられるのて゜、
彼れらをお捨てになりませんでした。」(ネヘミヤ9:17)

イエス様がこのような譬え話をされました。3年待っても実を結ばないいちじくの木を農園の主人は切り倒してしまおうと考えました。葉が生い茂り日当たりが悪くなるからです。その上、地下では根がはびこって葡萄の樹の生育に悪い影響を与えてしまうからです。ところが、園の管理人が、「肥料を与えますので、もう1年待って下さい」ととりなしました。このたとえ話は神様の二重の忍耐を伝えています。

第1は、父なる神様の御忍耐

農園の主人は「3年も」待ちました。聖書では「3」という数字は完全数を表しており、十分な年数という意味を持っています。たった3年ではなく、いちじくの木が実を結ぶためにもう十二分な年月を待ったという意味となります。

天の父なる神様は怒りと裁きの神ではなく、愛と忍耐をもって待ち続ける赦しの神です。私たちも神様の御忍耐に学ばなければなりません。私たちはせっかちで「怒るに早く」、相手をいつまでも赦せず、ゆっくり待てず、短絡的感情的に裁きすぎてしまうという失敗を繰り返してしまいがちです。

早すぎる怒りは無用な争いを引き起こし、相手を深く傷つけてしまうことがあります。恵み深い父なる神様から忍耐すること、待つことを学ばせていただきましょう。

第2は、御子イエス様の御忍耐

この譬え話しの管理人はこのままではいちじくの木が来年も実を結ぶことができないことを知っていました。なぜならば、実を結ぶことができるような特別な肥料が必要だったからです。

イエス様は人は誰でも生まれたままでは実を結ぶことができないことを知っておられました。理想とうらはらに私たち人間は年とともに欲深くなり、利己主義に陥り、思いと言葉と行いにおいてますます罪を重ねてしまうからです。

そんな私たちのために、イエス様はすべてをしのび、すべてを耐えて、十字架で苦難を受け、身代わりとなって死なれ、そして3日後によみがえって下さいました。イエス様はご自身の復活を通して、信じる者に「新しいいのちを」与えて下さいました。

この新しいいのちは、失われてゆく限界のある「古いいのち」とは対照的に肉体のに死をもっても閉じることのない「永遠のいのち」とも呼ばれています。罪を犯さざるを得ない「貧しいいのち」と対照的に神の御心にかなった生活へと導く「豊かないのち」とも呼ばれています。新しいいのちこそ、神様からの贈り物なのです。

恵み深い神様からの赦しといのちの贈り物をあなたもお受けになりませんか。


2002年3月4日