5月のメッセ−ジ   2002年

「偽りのない愛に生きる」 

「愛には.偽りがあってはなりません。悪を憎み善に親しみなさい。」
(ロマ12:9)

聖書は愛には5つの方向があることを示しています。1、神を愛する、 2、自分を愛する、 3、信仰の仲間、兄弟姉妹を愛する、 4、周囲の人々(隣人)を愛する、 5、自分に敵意を向ける敵さえ赦して愛する愛の5つ。さらに、聖書は一つの愛の原理を教えています。「愛にはいつわりがああってはなりません」と。

偽りと訳された言葉は偽善という意味ですが、語源は「俳優」を指します。役者たちは、仮面をかぶったり化粧をしたりして様々な役を演じます。ですから、偽りのない愛とは、完全な愛と言うよりは「演じられていない愛」「使い分けられていない愛」を指すと考えられます。私たちの愛は相手に応じてずいぶん使い分けられていないでしょうか。

私はある時、子供から、「お父さん、教会に誰かいる時といない時とでは顔が違うなぁ、声まで違う。」と言われてしまいました。「お父さん、1年365日、24時間営業で疲れているからなぁ。」と、苦しい言い訳をした覚えがあります。疲れていても笑顔を家族にプレゼントすることは、小さなようで大きな愛ですね。

私たちは神様のように100%純粋で完全な愛に生きることは不可能です。ですから神様だけがもつ完全な愛を自分にも他人にも要求してはなりません。神様も私たちに完全な愛ではなく、「ただ一つの愛」に生きることを願われています。

ただ一つの愛とは、イエス様の十字架のあがないによって明らかにされた神の愛を指しています。
「キリストが私たちを愛し、私たちのためにご自身を与えて下さったように、愛のうちを歩きなさいる。」
                (エペソ5:2)

神様を愛する愛も、兄弟姉妹を思う愛も、夫や妻や子供たちを愛する愛も、何かと気を使う姑に仕える愛も、口うるさい上司に接する愛も、すぐに噂話や悪口をいうお隣さんを赦す愛も、チグハグバラバラの愛ではなく、ただ一つのキリストの愛にとらえられてゆくものでありたいと願います。

あなたの愛がバラけてしまいそうな時、偽りのないイエス様の愛に身を委ね、愛する喜びを回復させていただきましょう。

恵み深い神様からの赦しといのちの贈り物をあなたもお受けになりませんか。


2002年5月5日