7月のメッセ−ジ 2002年
「高価な真珠を永遠にあなたのものに」
「また、天の御国は良い真珠を探している商人のようなものです。すばらしい値打ちの真珠をもひとつ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。」 (マタイ13:45-46)
2000年前の古代社会では、海の底から取れる天然真珠はたいへん貴重で高価な飾り物でした。聖書の中では、金、銀、宝石、紫布と並べてその高価さが記されています。黙示録では天国の12の門は12個の真珠でできているとまで表現されています。
さて、ひとりの真珠商人が世界の海を旅して良い真珠を捜し求めました。イスラエルの国では南のアカバ湾でしか真珠が採取できません。しかし、品質があまり良くなかったそうです。そこで商人たちははるばるインド洋まで出かけて真珠を買い求めたといわれています。そんな真珠商人があるとき、すばらしい一粒の真珠を見つけました。それは「世界にひとつしかない」と言わしめるほどプロの目から見ても、完全な真珠でした。彼は、自分の持ち合わせているすべての金銀宝石真珠、家をも売り払って、その一粒の真珠を手に入れました。大もうけをするためではありません。その真珠を永久に自分の所有とするためでした。
このたとえ話は、人生において本当に価値ある宝はどんな犠牲を払ってでも惜しくなく、むしろ永遠の喜びに通じることを教えています。
プロになればなるほど、数や量ではなく、質を追い求めるようになります。かつてバイオリニストの辻久子さんが、土地建物を売って名器ストラディバリウスを手に入れたことが話題になりました。幻の名器といわれたストラディバリウスに出会ったなら、全財産を投げ捨てても手に入れ、最高の音色で自分を表現したいと願うのは芸術家として当然の気持ちだと辻さんは語ったそうです。
2000年前、パウロというユダヤ教の若き律法学者がキリストとであったとき、彼の人生観が一変しました。今まで自分が誇りとし喜びとし最高の価値を置いていたものがむなしく色あせて見えてきたのです。彼は、イエスキリストこそが人生の最高価値であり、イエスキリストの中にこそ永遠のいのちと神の国の希望が秘められていることを知り、イエス様の中に無尽蔵の神の富を見出したのでした。
神様はあなたが、イエスキリストの中に真実な神の栄光と愛を見出し、あなたの地上における最高の唯一の宝とすることを願っておられます。
ストラディバリウスのためならば財産を喜んで投げ出す音楽家もいます。高価な真珠一粒のためなら全財宝と引き換えようとする真珠商人もいます。けれども、神の御子イエスキリストは神にそむいてやまない罪人のために、十字架にかかり、いのちさえも惜しまずに投げ捨ててくださいました。この世の海の底で、罪のどろにうもれていたような私たちのために、神の御子は十字架で身代わりに死なれ、赦しと聖さを与え、永遠のいのちへと救い出してくださいました。世界中の海を旅して真珠を探している真珠商人とは、神の御子イエスキリストをさしているのです。
このことを忘れないでほしいのです。弱さと敗北の中に朽ちている私たちであっても、神様は「私の目にあなたは高価で尊い」と呼びかけ、愛のまなざしを注ぎ続けてくださって折られることを。
イエスキリスト、このお方こそが、私たちの救い主そして永遠の宝であることを。
(2002年6月30日 礼拝説教より)