9月のメッセ−ジ 2002年
「真の宗教とは」
「私は生きているかぎり主に歌い、いのちのあるかぎり、私の主に
誉め歌を歌います。」 (詩篇104:33)
1 風景化された宗教
風景の中に神社やお寺やチャペルがあるのはいいけれど、生活の中に宗教が入ることを日本人は警戒します。葬儀と先祖供養を中心とした家の宗教は受け継ぐべきだが、日常生活に結びついた個人的な信仰に対しては距離をとろうとします。
約二十七万もの宗教法人があり、その会員数が日本の総人口の二倍に達しながら、多くの国民が、「私は無神論です」と自称する不思議な国、日本。信仰が生活と乖離してしまって、形と情緒的風物詩となってしまっている気がします。日本人は日本教という最大の宗教団体の信者であると、ある宗教学者が指摘しましたが、真相をついていると思います。
2 いのちを尊ぶ宗教
真実な宗教は「いのちを尊び、慈しむ」ことを教えの根幹に据え、いのちを軽視したり、死に急がせたり、死を美化することを強いません。「お国のために死んで来い」などと殉教を説くかわりに「どんなことがあっても命の限り、あなたは生きるのです」と教えてこそ、宗教の真価が発揮されるというものです。
人はみな限られたいのちを生きるはかない存在です。だから与えられたいのちを大切に丁寧に生きてゆく。自分のいのちを慈しむように他者のいのちをも慈しんで共に生きてゆく。ここから「父母を敬う」「殺してはならない」という人類普遍の二つの戒めが導き出されます。いのちを尊ぶがゆえに、平和を望み戦争を憎み、平等を求めてあらゆる差別をなくそうと努め、社会的な弱者である人々の人権と生活を守ろうとするエネルギーが湧き上がってきます。
今年も終戦記念日に、閣僚や国会議員が「靖国神社」に一斉に参拝しました。戦争犠牲者を表敬することに異を唱えるつもりはありませんが、政治的な利用は決して赦されません。
今一度、いのちを尊ぶこと、生かされていることへの感謝の思いをかみしめたいものです。
(2002年8月25日 礼拝説教より)