1月のメッセ−ジ   2003年

 

みなさま、新年おめでとうございます。

新春の喜びと恵みがみなさまの上に豊かにありますように、心からお祈り申し上げます。

「ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。」(1歴代誌4:10)

ブル−ス・ウィルキンソン博士が書いた「ヤベツの祈り」という小さな祈りの本がアメリカでベストセラ−となり、日本語にも翻訳されました。本の内容をめぐってキリスト教界内で賛否両論がありますが、旧約聖書の中にあつかましいと思われるほど率直に「私をたっぷりと祝福してください」と神様に願い求めた人物がいたことは事実です。彼の名はヤベツ(痛み、悲しみ)と母親によって名づけられました。よほどのことがなければ、宝のような息子にそんな名前をつける母親はいません。彼の出生をめぐって深い悲しみや鋭い痛みがあったことが推測できます。

ヤベツは家庭的に恵まれなかった人物であったのかもしれません。幼い時期の母子関係や家庭環境がその後の人生に大きな影響を及ぼすことがしばしば指摘されます。しかし過去がどのように痛みと悲しみに満ちていたものであっても、ヤベツは神に大いに用いられ尊ばれる人物となりました。その秘訣は彼の「祈りの生活」にあったようです。祈りは人生を変える力を持っています。環境に支配されてしまう私たちの人生を、祈りは神を仰ぎ見る自由で豊かな人生に変えることができるのです。

家庭的に恵まれなかった分、彼は天の父なる神様に愛されることを学び、本当の幸福は人からではなく天におられる神様から与えられることを学びました。彼にとって本当の幸福とは「神様が与えてくださる祝福」いがいにありませんでした。ですから、大胆にそして率直に「私を大いに祝福してください」と祈り求めることができたのです。一見、自己中心でどあつかましいような祈りですが、じつは「神様ぬきには私の幸福は地上ではありえない」という信仰の告白でもあるのです。

ある人が結婚のプロポ−ズをしましたが、最後の決めぜりふは「あなたを幸福にできるかどうかわからないけれど、僕と結婚してくれたら、少なくとも僕は誰よりも幸福になれます。」だったそうです。こう言われた女性も幸せ者といえますね。それほど相手のすばらしさが理解できているのですから。

神様もヤベツの祈りに答えてくださり、彼の領地を広げ、あらゆる苦難から彼を守り抜かれました。

神様の祝福を祈りもとめることに遠慮はいらないようです。ヤベツにそのような扉を神様は大きく開いてくださいました。そして私たちの前にもそのような扉は開かれているのです。いつ、どのように、どんな形で祝福を注いでくださるのかは恵み深い神様の御領域ですから私たちは委ねなければなりません。しかし「私を大いに祝福してください」と祈ることができる恵みの座に、神の子供たちは招かれている幸いを感謝しましょう。

「求めなさい。そうすれば与えられるでしょう。」(マタイ7:7)