2月のメッセ−ジ 2003年
みなさま、寒い季節です。お体大切に。
「彼は不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず・・神に栄光を帰し、神には約束されたことを
成就する力があることを堅く信じました」(ロマ4:20‐21)
完全失業率が過去最悪を記録しました。人や物があてにならない厳しい不況時代だからこそ、私たちは神様を礼拝し、祈り、上からのいのちと力をいただくことが必要です。
アブラハムは祈りの人でした。彼の生涯に三度大きな祈りのときがありました。
1 神を待ち望む祈り
アブラハムは神様の御心を待ち望む人でした。父親の跡を受け継ぎ、族長としての地位と安定した生活を過ごしていました。しかし、神様の召しを受けた時、彼は「行き先を知らずして」生まれ故郷を旅立ちました。「どこに」行くかではなく、「どなたに」従うか、それが彼にとっては大事だったのです。信仰とは、神様への信頼にほかなりません。
2 愛をもって執りなす祈り
神様が悪徳の町ソドムとゴモラを滅ぼそうとされたとき、アブラハムはそこに移り住んだ甥のロトとその家族が救われるように心を込めて執りなしました。アブラハムは大切な家族が滅びから救われるように、御使いが去ったのちにも「まだ、主の前に立って」いました。それは決してあきらめないという決意の現れでした。祈りによる涙の子は滅びないと言われています。愛によって働く信仰だけが大切なのです。
3 復活への希望の祈り
アブラハムに人生最大の試練が訪れました。百歳にして与えられた一人息子イサクをモリヤの山で全焼の供え物としてささげよと神様から命じられたのです。3日の旅路は苦悩の日々でしたが、山の麓で待つ従者にアブラハムは「私たちは礼拝して戻ってくる」といいました。神様が導かれることを私たちはすべて知り尽くすことはできません。しかし、すべてを導かれる神様ご自身を信じることはできます。
無から有を呼び出される神、死も生も司られる全能の神、希望の神を信じる信仰にアブラハムは、すべてを委ねたのです。アブラハムの祈りの生涯から、信仰、希望、そして愛の中に私たちを生かしてくださる神様の恵みを学ぶことができます。 (金曜婦人集会「祈りのシリーズ」より)