2005年 3月のメッセ−ジ
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって
満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1:23)
私はレストランに行って料理を注文するときにあまり迷いません。メニューを見て「これ食べたいな」と思った料理にすぐ決めるからです。
しかし、そんな私でもお店で品物を買う場合はかなり迷います。慎重になりすぎ、その日に買うことができなかったこともしばしばあります。「もっと安い品物がないか、他の店ではどうだろうか」などと、名古屋人のケチケチ根性(節約精神)が働くので即決できないのかなと思います。
私たちが決断を躊躇してしまう理由として、「他にまだ良いものがあるんじゃないだろうか」との欲や、「損しないだろうか」というリスク計算が働くことが考えられます。「これでやってゆけるのだろうか」という将来への不安感もやはり決心を鈍らせてしまいます。さらに、「失敗しないだろうか」との恐れも強い心理的ブレーキになっていると思います。その結果、変化を避け、現状維持になんとなく落ち着いてしまう場合がしばしばあります。
「選択と決断」の連続であるビジネスの世界ではいかにスピ―ディに情報を獲得し、その情報に基づいて即断できるかに会社の利潤と将来性がかかっているとも言われています。
さて、私たちクリスチャンには、スピードよりもメリット・デメリットの比較判断よりも、もっと大切な基準があります。それは「神様のみこころ」に従うという信仰に基づいた判断基準です。
神様がそのように願われるならば、デメリットが大きくても、リスクが高くても、不安が伴っていても、恐れがあっても、神様に信頼し決断し行動します。目に見えるところに従うのではなく、神様の御心に従うことが信仰の原点だからです。
神様の御心を「私たちの夢」として受けとめるならば「喜び」となります。人生においても教会においてもビジョン(夢)を持つことはとても大切です。
夢はいきいきとした活力を創造しますから、停滞と閉塞状況を払拭する力となるからです。
夢に期限をつけると目標になります。ですから目標を設定する前にまず夢を大いに語り合い、分かち合うことが、目標設定を導く力となります。
創造的な御業をされる神様に失敗はありません。夢を語り、祈り、待ち望みましょう。