2005年 5月のメッセ−ジ
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって
満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1:23)
四月から私たちは四年ぶりに礼拝の会場を外部施設から「堀池チャペル」に戻しました。
大きく三つの目的を確認できたからです。
一、献堂の恵みを想起し確認する
二、愛の交わりを豊かにする
三、地域に密着した宣教と教会形成を進める
時間の制約や諸規則がある貸し教室では交わりに限界がありました。ある信徒は「ホテル住まい」と表現しました。「神の家」で神の家族がともに住むとこから自然に「生まれる」交わりではなく、プログラムを計画して交わりを「作った」という感覚があり、私も違和感を抱いていました。
またある信徒さんは会場を間違えて日曜日に堀池チャペルに来てしまった時、地域に開かれた教会堂の扉に鍵がかけられ電灯も消え室内がまっくらになっている光景を見て、言いようのないさみしさを強く感じたことを分かち合ってくださいました。
このように多くのことがらを通して、主は私たちに「原点復帰」を語りかけてくださっているとの思いへと教会員がともに導かれたのです。
一九九〇年に私たちは堀池チャペルを神様に心からの感謝をもってささげ献堂式を迎えることができました。一千万円の献金が初穂としてささげられ、少ない信徒数でしたが喜びに包まれてささげものをし、必要が満たされました。さらに連合からの協力や教会の外部の方々の祈りや献金によって支えられたことも忘れることができません。
その後、毎年のようにバプテスマ者が与えられ、あっというまに会堂は手狭になってしまいました。
場所も広く駐車場も確保できる施設に礼拝会場を漸次移し対応しましたが、「利便性」が優先していたことは否めません。いつしか会堂に対する意識が希薄になり、全員による会堂の清掃も年に一度の年末の大掃除だけになってしまいました。
主に献げられた聖なる会堂に対する誠実で謙虚な態度では決してなかったと振り返らされています。
小さな群れを献堂の喜びへと導かれた主の恵みを忘れかけていたのかもしれません。
兄弟姉妹の祈りと愛を込めて主に献げられ聖別された堀池チャペルを、原点に立ち返って感謝し大切にし、まず、「会堂の清掃」から主にお仕え直したいと願っています。
トイレ掃除、玄関掃除、床みがき、イス並べなどの清掃の「清」は、礼拝をささげる「聖」なる姿勢を「整」えることにも通じるのではないでしょうか。