【福音宣教】 医者ルカのまなざし ルカ1:1-4

「すでに教えを受けられたことがらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます」(ルカ1:4)

今日からルカの福音書の学びに入ります。福音書の書き出しから学びましょう。

1. ルカから尊敬するテオピロ殿へ

この福音書はルカからローマの高官であったテオピロにあてて書かれた長い手紙です。著者のルカはギリシャ人(異邦人)であり宣教師パウロの同労者であり、職業は医者でした。かれはアンテオケ教会の信徒の一人とも考えられています。最後までパウロと苦楽を共にしたパウロの友であり主治医でもありました。この手紙はおそらく70-80年ごろにエペソまたはローマで記されたと言われています。 テオピロはローマ政府の高官でキリスト教に関心をいだいて、教会に集う求道者の一人であったと言われています。

いよいよキリストの福音がエルサレムから始まりアンテオケ、アジア州、ギリシャ地方、そしてローマ帝国の中心であるローマにも拡大しつつあることが伝わってきます。

1節を見ると、イエスキリストの教えと御業を初めからの目撃者して、み言葉を伝えるようになった人々、すなわち使徒と呼ばれる人々がいました。使徒たちからさらに「私たち」に伝えられました。ただ聞いてうのみにするだけでなく、ルカ自身も医者らしく「自ら綿密に調べて」いますと語っています。すでにイエスキリストの教えと御業は「多くの人々が記事にまとめて書き上げようと試みています」とあるようにすでに執筆されていたこともわかります。マルコの福音書、そしてパウロの初期の手紙類(ガラテヤ・テサロニケ・コリント・ロマ書)はすでに読まれていたと思われます。そこで、ルカは異邦人であるテオピロにわかりやすいように順序だてて、キリストの誕生からキリストの活動、そして十字架の死と復活と昇天までを時系列的に書き送ろうとしたのでした。

2. 医者ルカのまなざし

ご存じのようにイエスキリストの生涯は4つの福音書としてまとめられています。最も古いのはマルコの福音書、ついでマタイ、ルカ最後がヨハネです。なぜ4つあるのかといえばそれぞれの福音書に目的があったからです。マタイはユダヤ人で12弟子のひとりでした。彼は主にユダヤ人を対象に「王であるキリスト」を主題にして福音書を書きました。マルコはペテロの通訳者でペテロからキリストの話を聴いて福音書を書きました。彼はマルコと呼ばれるヨハネ(使徒1212)からユダヤ人と異邦人の混血ではないかとも言われ、主にローマ人を対象に書いています。「仕えるしもべ」が主題でした。ルカはギリシャ人で、ユダヤ人以外の異邦人を対象にして「人となられたイエス」を主題にして福音書を書きました。最後のヨハネは時代を超えて普遍的な「神の御子なるイエス」を主題として福音書を書いたと言われています。ルカはパウロの主治医でしたから、医者らしい「視点」でイエスキリストのことばと御業を記しています。なによりも医者らしく「客観的事実」「正確な事実」「論理的な解説」を重視しました。すごく親切でやさしくけれど腕が今一つの医者と無愛想だけれど腕が立つ医者とどちらを信頼しますか? 科学者たちにはやはり客観性・正確性・論理性が求められます。同時に医者のルカはキリスト者として女性や子供、貧しい人々や病人と言った社会的に弱い立場にあった人々に対して愛情とやさしいまなざしを向けることができました。ですからルカの福音書は「女性の福音書」と呼ばれるほど、多くの女性たちが登場し活躍する姿が描かれています。それはイエス様が古代社会特有の男尊女卑といった差別や偏見の壁を越えて、福音を宣べ伝えられた姿そのものを反映していると言えます。

3. ルカの福音書の目的

ルカがテオピロにこの手紙を書いた目的が4節で説明されています。「すでに聞いた教えが「正確な事実であること」をわかっていただきたいため」です。この目的にはテオピロだけでなく、すべての異邦人たち、全世界の人々たちにも知ってもらいたいとの願いが込められています。

聖書の世界は今から確かに2000年前の古代社会の出来事です。日本では石器に代わって青銅の武器で人々が戦っていた弥生時代、邪馬台国が建国した時代です。福音書に記された出来事をどこかで私たちは、神話か作り話か単なる物語にすぎないと考え、そこに歴史性や客観性や正確性を認めがたいと感じてしまいがちです。事実、キリストの行った奇跡の多くは信じがたいこととみなします。死者をキリストがよみがえらせた3度の奇跡はすべて一時的な仮死状態に過ぎなかったのではと考えます。なによりキリストの復活にいたっては完全に作り話、神話に過ぎない。事実、現代のリベラル派と呼ばれる神学者たちは「キリストが復活したかどうかはわからない。ただし弟子たちが復活したと信じた初代教会の信仰を我々は受け継いでいるのだ」と合理的に理解します。

しかしながら、ルカはテオピロに「すでに聞いた教えが「正確な事実であること」をわかっていただきたいため」この福音書をあなたに書き贈呈しますと明言しています。

これから学ぶキリストの生涯、キリストの言葉、教え、奇跡を含むすべての御業、それは正確な事実であり、歴史的出来事であり、決して人間の手による創作ではありません。うそごまかしに満ちたフェイクニュースではなく、GOODニュース(良い知らせ)なのです。

そして、最後の福音書の中で使徒ヨハネが明らかにしたように、キリストを信じる者は永遠のいのちを得ることができるため福音書は書かれました。

「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」

(ヨハネ2031

たいへん印象深い話があります。アメリカのアポロ計画で活躍した宇宙飛行がNASAを退職後に何人かは牧師や伝道者となりました。1972年、アポロ16号で月面に降り立ったチャーリ・デューク(最年少の36歳、月面を歩いた10人目の宇宙飛行士)もその一人です。彼は「地球と人間社会への帰属意識は強められたが、神への帰属感は生まれなかった」と無神論者のままでした。そして40歳でNASAを退職した後、事業を起こし大成功を収めました。しかし、お金がもうかればもうかるほど心は空虚となりついに、1978年キリストを受け入れクリスチャンとなりました。

「私は月をこの足で歩いてきた人間として、月を人間が歩いたことよりも、イエスが地上を歩いたことのほうが人類にとってははるかに意味があることだとわかった」と証ししました。神を拒否する人生の虚しさと、神と共に生きる人生において見出した絶大な価値と喜びについて語っています。

そうです、神の御子がただ一度、人となって私たちの世界に来てくださったこの驚くべき事実の中に、神の壮大なご計画と人類救済の深い愛の御心が込められているのです。

神の御子が人となりこの世界で歩まれた33年半の歩みと教えと御業を、毎週日曜日の朝にともに学びながら、新しいいのちの力を受け取らせていただきましょう。

「 人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」(ルカ19:10)

アポロ16号飛行士 右端がC・デューク


  目次に戻る