20201206 羊飼いたちのクリスマス ルカ2:8-14
「御使いは彼らに言った。恐れることはありません。今、私はこの民全体のためにすばらしい喜びを知らせに来たのです」 ルカ2:10
今週もドラマチックな日々でした。信徒の兄弟が2日の火曜日に出先で突然、倒れたとの知らせが入り、ご家族との連絡が取れて病院に急行しました。容態を知り、すぐ皆さんにラインで連絡して祈っていただきました。昨日、お電話をいただき意識が戻り、一般病棟に移られたとお聞きしてこころから感謝しました。昨年12月には悲しい事故で愛する姉妹を天に送りましたので、万が一の時はと覚悟しましたが、神の聖名を崇めました。教会の祈りを覚えてくださる主に感謝します。
1. 忘れられていた羊飼いたち
マリアがベツレヘムで月が満ちて御子イエスを出産した時、ベツレヘムの郊外で野宿しながら羊の群れの夜番をしていた羊飼いたちがいました。のどかな牧会風景と思うかもしれませんが、当時の羊飼いたちの置かれた生活環境はたいへん厳しいものでした。安息日だからといって休むことができない肉体労働者の羊飼いたちは、厳格な宗教家たちからは「安息日を守らない」罪人とみなされ差別され軽蔑されていました。神殿やユダヤ会堂への出入りが禁止されていたそうです。家庭において親は子供たちに「羊飼いには近づかないように」と教えたそうです。というのも、犯罪歴を持つ者たちがまともな仕事につけないために羊飼いになって生活をしていたというケースも多かったようです。貧しい石大工のヨセフでさえローマ政府の命令で住民登録をするためにナザレからベツレヘムまで旅をしたのですが、羊飼いたちは除外されていました。税を納めるにも定職もなく収入もなく住所も不定、兵役につくにも教育を受けていないので全く役に立たないとローマ人からも見捨てられていました。御子イエスさまも「宿屋の客間に居場所がなく」家畜小屋の片隅の飼い葉おけの中に寝かせられましたが、羊飼いたちもまた、ユダヤ人社会からも、ローマ人社会からも見捨てられ、どこにも居場所見出せない人々でした。
しかし、神は決して彼らを忘れることも見捨てることもありませんでした。御使いを真っ先に彼らのもとへ遣わし、「今日、救い主がお生まれになった」と喜びの知らせを伝えてくださったのです。愛する人に、うれしい知らせをまっさきに伝えたいと思うのは自然の情ではないでしょうか。「羊飼いに近づいてはならない」と親が子供にしつけるほど、疎まれ嫌われ者であった羊飼いたちでしたが、天の父なる神様は誰よりも彼らを顧み、愛してくださったのでした。
申 4:31 あなたの神、主は、あわれみ深い神であるから、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、あなたの先祖たちに誓った契約を忘れない。
イザ 49:15 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。
ロマ 8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
クリスマスそれは私たちがキリストにある神の愛を覚える日です。神はあなたを決して忘れず、あなたを神の愛から引き離すことはないと約束してくださった日なのです。
2 喜びの知らせ
羊飼いたちは天使が現れ「非常に恐れ」(フォボン メガン Great fear)ましたが、御使いは「恐れるな」あなた方に「大きな喜び」(カラン メガレン Great joy)を伝えに来たと告げました。大きな喜びとは、ついに救い主キリストが誕生したことです。メシアの誕生を待ち望んでいる神の民・イスラエルに、ついに救い主が誕生したという喜びの知らせです。彼こそがダビデの王座に着き、ヤコブの家をとこしえに治める(1:32-33)と、約束されていたメシアでした。神の民イスラエルの希望、いのち、喜びでした。
人間が抱く「大きな恐れ」と、神が与える「大きな喜び」をルカ福音書は対照的に描いています。恐れを克服するために必要なのは、世の中の人々が教えるような「恐れに負けない強い精神力や勇気を持つこと」ではありません。聖書が教えるのは「喜び」です。大きな恐れを乗り越えるものは大きな喜びです。喜びが緊張や不安や恐れを包みこんでくれるのです。恐れや不安は人生からなくなることはありません。生きる上で必要なことですから、決してなくなりません。生きている限り、共に歩まなければなりません。悲しいことは不安や恐れにこころが支配されてしまうことです。捕らえられてしまうことです。しかし、喜びが解放します。不安や恐れは存在していても、喜びはあなたをそこから自由にし、希望をもたらします。
そして、この喜びは、私たちが救い主キリストを知ることから生まれます。クリスマスはその意味で、世界最大の喜びの知らせ・福音といえます。
コロナ禍の中、辛い経験をなさっている方がきっと身近なところにもおられることでしょう。7月以来、自殺者が3ヵ月連続で1000人を超え、10月には2000人を超えてしまいました。今までの日本のコロナによる死亡者数は累計で約2328人(12/5現在)ですから、報道されない隠れた場所で日々どれほど多くの人々が苦悩しておられることでしょうか。
この世界になんの希望も光も見いだせないと嘆くのではなく、救い主キリストがお生まれになった喜びの知らせを聴いていただきたい。飼い葉おけの中で生まれ、十字架で死なれましたが、3日目によみがえったこのお方は、今も生きておられる「永遠なる神」「救い主キリスト」です。
「WITH コロナ」の時代はきっと来年も続くことでしょう。しかし、私たちには「WITH CHRIST」の生活と喜びが与えられています。
みなさんは、救い主イエスキリストのもうひとつの隠れた名をご存じでしょうか。その名は「インマヌエル・神我らと共にいます」(マタイ1:23)と、み使いは告げました。
キリストは私たちを、不安や恐れから解き放す「大きな喜び」をもたらしてくださる、共におられる神、救い主なのです。それゆえ、神はキリストにあって「いつも喜んでいなさい」と慰め、励ましてくださっています。感謝しましょう。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(1テサロニケ5:16-18)
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4:14)