20210328 ルカ4:21-28
イエス様は故郷のナザレの会堂でイザヤ書を朗読し、「今日、この言葉が成就した」と宣言されました。それはイエス様が預言者を通して約束されていたメシヤすなわち救い主として恵みに満ちた力ある御働きを始められることの公の宣言でした。その時、人々の3種類の反応が明らかになりました。
教えに驚き、拍手喝さいをして歓迎した人々(22)。「何を言ってるのか。こいつは、ヨセフの子じゃないか」(22)と強い不信感を抱いた者。そして「激怒に満ち、イエスを崖から突き落とそうとした人々」(29)です。有名になって故郷に帰り人々から偉人・英雄として大歓迎されることを「故郷に錦を飾る」と言いますが、イエス様は反対に故郷では、村から追い出され殺されそうにさえなりました。理由は2つです。偏見と不信仰でした。
1. 偏見
父なる神様はひとりごイエス様をマリアに託しました。イエスキリストこのお方は、まことの人であり、まことの神でした。人となられた神の御子でした。パウロは「キリストは・・ご自分を無にして仕える者の姿を取り、人間と同じようになられたのです」(ピリピ2:7)とイエス様のご本質を明らかにしています。
しかしながら、ナザレの村人たちは、イエス様を幼い時から良く知っていました。あのマリアの子、ヨセフのせがれ、弟や妹たちと一緒にいた(マルコ6:3)ではないか。「こいつがメシアとはばかげた話だ!」と、受け入れるどころか、むしろあざけり侮蔑したのでした。子供のころから通っていた教会にやがて牧師として赴任してくる方もいます。子供時代のあだ名も、性格も、学校の成績も、恥ずかしい失敗も古い教会員は知っている。「〇○牧師」と呼ばれるより「〇○ちゃん」と呼ばれる。年配の信徒たちは「ほう、なかなかいいこと言うようになったもんだ」というまなざしで品定めしている状態。そんな苦労をしている牧師を私は知っています。「預言者は郷里では敬われない」とは世の東西を問わず知られた格言といえます。人は「過去にいつまでも縛られてしまい、今を正しく見ること、評価すること、受け入れることができない」認知の歪みや思い込みや偏見をもちやすいものです。偏見とは国語辞典によれば、「偏った見方、考え方。客観的な根拠なしに抱かれる日好意的な先入観や判断」と定義されています。
しかし、実はそれ以上にもっと深い理由から、ナザレの民衆は、イエス様を拒絶し、激しい怒りを爆発させたのでした。それは不信仰でした。
2. 不信仰
イエス様は、2つの旧約時代の出来事を引用されました。預言者エリアが紀元前9世紀半ばに活躍していた時代。イスラエルの王アハブはバアルやアシラの神を祭って偶像礼拝に走ったため、激しい干ばつが神の怒りとして下り、国民は飢えで苦しみました。その時、神様はエリアを地中海沿岸の外国フェニキアのザレパテに住むやもめのもとに遣わし、彼女を飢えから救い、祝福を与えました(第1列王17章)。さらに後継者エリシャの時代にも、敵対する隣国シリアの将軍ナアマンが、エリシャに命じられた通りヨルダン川に7度、身を沈めて、重いらい病から奇跡的に癒されました(第2列王5章)。これまたユダヤ人をさしおいて、外国人が救いと祝福を受けたできごとでした。それを聞いたナザレの住民は「ヨセフの子が生意気にも自分をメシアと語り、さらには我らの救いよりも、こともあろうに異邦人たちの救いを語るとは、とんでもない食わせ者だ!」と一気にイエス様への拒絶と怒りを爆発させたのでした。
イエス様に対するユダヤ民衆の不信仰、疑い、反発、怒りは、生涯イエス様に付きまといました。ナザレの民衆は怒り狂って「崖から突き落とそう」(新改訳は投げ落とそう)(29)とし、エルサレムの群衆も「十字架につけろ」と叫び続けました。イエス様は動じることなく毅然とした態度で、彼らの真ん中を歩み去り、不信仰なナザレの町を後にしました(30)。イエス様はゲッセマネの園からカルバリの十字架への道をまっすぐに歩まれ、ご遺体は不信仰なエルサレムから離れた郊外の墓地に葬られましたが、イエス様は復活され、その墓さえ空にされました。
私たちは十字架を目指して歩まれるイエス様ただ一人を見つめて歩まなければなりません。
「見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。立ちなさい。さあ、行くのです」(マタイ26:46)
十字架は多くの人々には躓きであり愚かさとなりますが、救いに預かる者には力となり(第一コリント1:18)誇りとなるのです。私たちは「十字架の主を宣べ伝える」とパウロは決意を語っています。
「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(1コリン1:18)
「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが」(1コリント1:23)
3. 苦難のメシヤ
今週は受難週です。次週4月4日はイースター礼拝を私たちはささげます。足跡をたどれば、イエス様のご生涯は、苦難と試練の連続でした。家畜小屋の飼い葉おけから、カルバリの丘に立てられた十字架まで、「人の子には枕するところがない」(ルカ9:58)と言われるほど、茨の道を、困難と非難中傷の中を歩まれました。 私たちの教会も、そして世界中の教会がこの1年間は新型コロナウィルスに悩まされ、いつになく心苦しい、自由を奪われた状態の中におかれています。教会の中にもウィルに倒れた信徒や牧師もきっと多くおられることでしょう。日本で8989名、世界で277万人が亡くなっている(3/26現在)のですから。
世界中の諸教会は今、同時にかつ同じ苦しみを共有しています。これは今までにない経験と言えます。同じ痛みを、悲しみを、恐れを分かち合うことができています。ある意味、私たちは苦しみを通して世界中の教会と「連帯」していると言えます。その意味でまさに、受難週にふさわしい日々と言えます。
受難の後に栄光の復活があるように、この苦難の先にも神の恵みの光が輝くようにお祈りいたしましょう。
受難週の朝、ご一緒に「主の祈り」をささげましょう。