【福音宣教】イエス様の12人のお弟子たち


2021年6月13日 ルカの福音書6:12-19

イエス様は生まれ故郷のナザレで、次にガリラヤ湖畔のカぺナウムの町で「神の国の福音」を宣べ伝えました。「時が満ちた、神の国がちかづいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ115)という宣教はイエス様の大きな使命でした。そしていよいよもう一つの大きな使命に取り掛かられました。それは弟子たちを召し、育て、訓練し、ユダヤの町々村々、さらにはサマリアそして全世界に遣わすことでした。イエス様に残された時間はおよそ3年半、1275日。3年半といえば長いようで短い期間です。学校のように通学して学ぶのではなく、寝食をともにして「身近におき」(マルコ314)学ばせました。

1. イエス様の弟子たち

イエス様が最初に声をかけたのはガリラヤ湖で働く漁師の若者4人でした。シモンと兄弟アンデレ、ヤコブと兄弟ヨハネ。次いでカぺナウムの収税所で働くレビでした。こうしてイエス様に従う者たちの数は増えていきました。彼らはイエス様の弟子たちと呼ばれました。イエス様が実際彼らを何と呼んでいたのかはわかりませんが、十字架の死を前にイエス様を裏切ったイスカリオテのユダさえ、「友よ」(マタイ2650)と呼ばれましたから、イエス様は弟子たちを「友」と呼ばれていたことは確かです。いつしか先輩後輩、上司部下という縦並び、上下関係、支配関係が出来あがりがちな人間関係の中で、イエス様は彼らを「友」FRENDSと呼びました。感動的なことばではないでしょうか。「人が友のためにいのちを捨てるこれよりも大きな愛はない」(ヨハネ1513)とイエス様は言われましたが、理想的なことばではなく、弟子たちに対するイエス様の愛そのものでした。これを十字架の愛といいます。私たちにできることは、友のために少し「いのちを削ること」で精いっぱいですが、仲間のために、信仰の家族のために少々、骨身を削り、労したいものですね。「私に部下などはいない。みんな仲間だから」とは、踊る大捜査線という人気テレビ番組の主人公・青島刑事の有名な言葉です。イエス様は弟子たちを友と呼び、神の国の仲間とみなし、最後の極みまで(ヨハネ131)弟子たちを愛されたのでした。

2. イエス様が遣わされた12使徒

イエス様はある夜、山に登り徹夜の祈りをされました。「出て行って、祈るため」という動詞は不定過去形ですから、はっきりとした覚悟・決意をもってという意味になります。祈りの中でひと夜を明かしつつ、父なる神様と深く語りながら、多くの弟子たちの中から12人を選び、彼らに「使徒」という特別な名前をつけました。
弟子とはマセテース、「学ぶもの」という意味です。「私から学びなさい」(マタイ1129)とイエス様は人々を招いてくださいました。イエス様の弟子とは、イエス様に学ぼうと志すすべての者たちを指します。その意味で、私たちすべてのクリスチャンは、イエス様の弟子なのです。一方、使徒とはアポストロス、「遣わされる者、派遣される者」という意味です。古代ユダヤにおいては「派遣される者は派遣する者と同等」とみなされ、権威が与えられていました(船本)。それゆえ、イエス様はかれらに特別に、「汚れた霊を制する権威を与えられた」(マタイ105)とマタイは記しています。

18節を呼んでいただくと、山の麓では大勢の群衆が「イエス様の教えを聞き、病気をなおしてもらうため、あるいは汚れた悪霊に悩まされていため、イエス様のもとに押しかけて」来ました。まさに、イエス様は彼らのもとへ、言い換えれば罪に満ちたこの世界で病に、悪霊に、貧困に、差別に苦悩し、虐げられている人々のもとへ、使徒たちを遣わし、イエス様の教えを語り聞かせ、病を癒し、御霊の権威とイエスの聖名によって、悪霊の支配から神の恵みの世界に解放するために、遣わそうとされたのでした。

使徒として選ばれたのは、ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ(ナタナエル ヨハネ145)、マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモン、ヤコブの子ユダ(タダイ マタイ103)とカリオテ出身のユダの12人でした。この12人はいわば「使徒団」を形成し、イエス様が天に帰られたのち、教会と信徒たちのリーダとなり、聖霊の力を受け、キリストの十字架と復活を語り続け、殉教の死に至るまで使徒として歩み続け、キリスト教会の土台を築いたのでした。それゆえ新しい都エルサレムの城壁の土台石にその名が刻まれています(黙示2114)。イエス様の夜を徹しての祈り、それが新しい共同体である教会をこの地上に生み出したのでした。

*なぜ、使徒たちは12人だったのでしょう。旧約聖書において、神様は全世界の民族を祝福するためにアブラハムの子孫であるヤコブからイスラエル12部族をお立てになられたことにちなんで、イエス様は全世界を祝するために、新しく12使徒を選ばれました。

*メンバー構成をみてみましょう。ヤコブとヨハネは漁師。雇人もいる裕福な家(マルコ12)の出身で、大祭司とも知りあい(ヨハネ135-41)、母親も信者(ヨハネ2755)でした。しかし、二人のあだ名はボアネルゲ。雷の子いう瞬間湯沸かし器のような気性の荒い若者でした。兄のヤコブは最初の殉教者(使徒121-2)となりましたが、弟ヨハネは最後の殉教者となりました。一緒にイエス様に召された兄弟であっても、主によって歩む道は大きく異なりました。マタイの本名は「収税人のレビ」(マタイ103)です。ロマ政府のお先棒となって金を稼いでいた人物で、周囲からは売国奴呼ばわりされていました。一方、熱心党のユダは反ローマ主義を標榜する熱烈な愛国主義者たちです。この二人は全く価値観が異なり本来ならば犬猿関係です。さらに、ユダだけが南部のカリオス出身で、他はみなガリラヤ北部出身です。言葉も違っていたと思われます。兄弟が2組、もしアルパヨが同一人物だとすればアルパヨの子ユダとマタイ(マルコ214)もまた兄弟ということになります。兄弟は団結力も強いがしばしば反目し合う仲でもある。つまり、この12人は結構ストレスフルなやっかいな集団といえます。イエス様はあえてこの12人を選ばれました。しかしながら、3年半の弟子としての訓練を受ける中で、イエス様の人格に触れ、彼らは性格や思想や職業や出身地の違いを乗り越えて「神の国」を宣べ伝える使命において一つとなったのです。イエス様の祈りがそのような使徒たちを生み出したのです。

3. なぜユダが含まれているのか?

ではなぜこの選ばれた12使徒の中に、イエスを敵に渡したユダが含まれていたのでしょうか。ユダが会計係をまかされるほど有能な人物であったことは事実です。しかし、この12人が選ばれたのは、他の多くの弟子たちより優れていたからでしょうか。あるいは弟子たちの中のエリートだったからでしょうか。いいえ、神のみこころは、何らかの人間的功績や資質にもとづくものではなく、価しない者に与えられる神の恵みに基づくものであることを明らかにするためでした。ユダの存在はこの測り知れない神の恵みの深さを私たちに教えるためであったと言えます。

パウロは自らを「月足らずで生まれた者、使徒と呼ばれる値打ちのない者、罪人のかしら」(1コリ159)と謙虚に語り、神の選びと召しと救いに関して「この宝を土の器の中に持っている」(2コリン47)と表現しました。たとえ、使徒として召されようと土の器にすぎないことを自覚していました。大切なことは、この土の器の中に、「宝」を与えられているという恵みの事実です。12使徒の選びと召しは、すべてがイエス様の祈りの中で導かれました。父なる神の深い御むねの中でご計画されました。

たとえペテロが失敗しようとユダが裏切ろうと、使徒たちを通して神の国の福音が伝えるという神のご計画と意志は揺るぎませんでした。私たちも、主イエスの弟子として、学び続けてまいりましょう。

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