2021年9月5日 ルカの福音書8:1-3
イエス様は「神の国」の福音をガリラヤ地方の町や村を巡り歩いて宣べ伝えておられました。イエス様のそばには12弟子たちがいつもお供をしていました。ルカはさらに大勢の女性たちも一緒にいたと記しています。
具体的には、7つの悪霊を追い出していただいたマグダラのマリア、病を癒していただいたヘロデの執事クーザの妻ヨハンナとスザンナの名が挙げられ、その他に財産をもって仕えている大勢の女性たちと記しています。おそらく裕福な階級に属していたと思われます。
ガリラヤ地方の比較的大きな町マグダラ(カぺナウムから5km)出身のマリアは、7つの(完全数)悪霊に支配され、精神的な混乱に悩まされ、裕福でありながらもみじめな生活を過ごしていたと推測されます。ヘロデガリラヤの国主ヘロデアンティパスの家令クーザは、王室の財産管理を任されている重要な大臣級の役人でしたから、その妻のヨハンナも上流階級に属する貴婦人でした。スザンナもまた同じく上流階級の属する女性と思われます。
彼女たちも過去に重い病で苦しんだ経験を持ち、お金をつぎ込んで名医と呼ばれる医者を呼び、よく効くという高額な薬を手に入れて飲んだものの一向に回復しなかった。そんな状況の中で、イエス様によって病を癒され、罪の赦しを受け、永遠の神の国のいのちと希望を持たせていただいた女性だったと思われます。
イエス様につきそった女性の集団に見らえる3つの特徴を学びましょう。
1. 多く感謝し多く愛した
彼女たちは受けた恵みを感謝して、奉仕に励みました。先週、学んだようにおそらく売春婦と思われる差別され軽蔑されていた一人の女性は涙でイエス様の足を濡らして、髪の毛でぬぐい、香油をぬって、イエス様への精いっぱいの感謝と献身の思いを伝えました。
「多く赦された者は多く愛し、多く感謝する」(7:47)のです。マグダラのマリアもヨハンナもスザンナもその他の女性たちも、多くのささげものをもってイエス様と弟子たちの宣教旅行を経済的に支え、衣食住のお世話をしてかいがいしく働いたと思われます。
特にマグダラのマリアはペテロと対比されるほど女性信徒の中では中心的役割を果たしていました。新約聖書に登場する29人の女性を記したオランダの神学者カイパーはマグダラのマリアに関してこう記しています。「悪霊につかれたという事実から生来、きわめて情熱的・衝動的な人間であったといえると思う。こういった人たちは悪霊の影響を受けやすい。・・・イエスは彼女の救い主となり、七つの悪霊を追い出してくださった。その時以来、マリアの激しい情熱はちょうどあのペテロのようにただ一つの目的に向けられた。彼女は感謝のささげものとしてその生涯をイエスにささげたのであった」(新約聖書の女性 p46)
2. イエスにあって一つ
12弟子たちの集団以外にイエス様は70人の弟子たちを2人1組で宣教に派遣しています(ルカ10:1)。さらに女性たちの集団もいつも付き添っていました。ここには男女の差別の壁が取り除かれています。ガリラヤ地方の裕福な階級に所属する人々と貧しい人々との貧富の差も取り除かれ、ともにイエス様に感謝し奉仕をささげ、神の国の宣教のために仕えています。
「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。」(ガラテヤ3:26-28)
これはやがてペンテコステの日以来、誕生した「キリスト教会の姿」の先取りであり、やがて実現する神の国の完成されたすがたの先取りです。キリスト教会の本来のうるわしい輝きであり、偏見や差別の激しい時代の中にあって、常に福音宣教の力となりました。
3. 最後まで続く奉仕
「多くの婦人たちもずっと一緒にいた」(3)「みそばにいた」とも訳された動詞は未完了形です。まだ献身と奉仕の日々は続いています。彼女たちの奉仕に終わりはありませんでした。神様に仕える奉仕に「卒業式」は存在しません。中心的女性であったマグダラのマリアの足跡を辿ってみましょう。
1)イエス様の十字架の死に際して、ヨハネ以外の弟子たちはみなユダヤ教の指導者たちを恐れて姿をくらましましたが、彼女たちは十字架のそばでイエス様の最後を見届けました。
「兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。」(ヨハネ19:25)
2)彼女たちはアリマタヤのヨセフの墓に葬られるところまで付き添いました。
「マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの納められる所をよく見ていた。」(マルコ15:47)
3)イエス様がよみがえらえた朝早くには、準備しておいた香料をもって葬られた墓を訪ねました。弟子たちがユダヤ人たちを恐れ、戸を閉めて(ヨハネ20:19)、家の中に閉じこもっていたにも関わらずに・・です。なんと勇敢なそしてどれほどイエス様を愛していたことでしょうか。「 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。」(1ヨハネ4:18)
「この女たちは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤとであった。彼女たちといっしょにいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。」(ルカ24:10) マグダラのマリアとヨハンナはガリラヤからエルサエムまでずっと一緒だったことがわかります。
4)そして、マグダラのマリアは復活されたイエス様の声を最初に聞くことができ、御足を抱いて礼拝をささげる恵みにあずかりました。
「すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。」(マタイ28:9)
5)約束の御霊が注がれるペンテコステを待ち望む日々も彼女たちは弟子たちとともに、エルサレムの2階座敷で心を合わせて祈っていました。
「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」(使徒1:14)
後の時代、ペンテコステの日に誕生したエルサレム教会においても、アンテオケから始まった異邦人教会においても、多くの女性たちが聖霊に満たされ次々と神に用いられ、キリストと教会に惜しみなく仕えました。ですから新約聖書の教会の歴史は、女性たちによって綴られてきたといってもよいでしょう。
振り返れば宇治バプテスト教会も、多くの女性たちの祈りと奉仕によって支えられてきました。今もそうです。召天者記念礼拝でお写真を飾らせていただくたびにお一人一人の奉仕の日々を思い起こし、私は神様に深く感謝しています。さらに、忘れてはならないのが、激しく反対するご主人たちの数よりも、妻たちを黙って教会に送り出してくださった多くのご主人たちの存在です。もちろん反対したり妨害したりするご主人もいないわけではありませんが少数です。いわば、妻のスザンナをイエス様の奉仕へと送り出した「ヘロデ王の執事クーザ」のような男性たちです。イエス様がそのような隠れた奉仕をお忘れになるはずはありません。きっと神の祝福が伴うことでしょう。ですから、牧師としてお一人一人の救いを心からお祈りさせていただいています。
「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)
「あなたがたがキリストの弟子だからというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません。これは確かなことです。」(マルコ9:41)