2021年12月12日 マタイ2:1-12
次週はクリスマス礼拝です。イブキャンドルサービスには今年も林先生、成君、奥様が出席してくださりピアノとチェロの演奏をしてくださるとのことですので感謝です。
さて、イエス様がユダヤの国のベツレヘムの家畜小屋で誕生された頃、数千キロ離れた東のペルシャの国に、不思議な大きな星が現れ輝きを増しました。天文学者たちはその星の出現の意味を、「西のパレスチナで世界の王がお生まれになった」と理解しました。
古代中国の記録では、紀元前4年には彗星が観測されたことがわかっています。さらに、紀元前7年には、うお座の中で土星と木星が重なり輝きが増すという794年に一度の天体ショーが記録されています。今年11月19日、98%が隠れるほぼ皆既月食が見られました。はずっと東の夜空を月食が終わるまで見続けていましたが、不思議な感動を覚えました。2000年前の人々はどのように受けとめていたことでしょう。
1 旅立った博士たち
星の出現は新しい王の誕生のしるしと受けとめた博士たちはユダヤの国をめざす2500kmにも及ぶ長い旅に出立しました。砂漠の旅ですから多くの危険や困難が待ち構えていることは十分想像できたはずです。それでも彼らは旅立ちました。世の中には無鉄砲というか、思い付きで冒険を始める人もいますが、多くは失敗をします。博士たちがユダヤの国を目指したのには、確かな根拠がありました。それは冒険の旅というよりは確認の旅といえました。
紀元前6世紀、バビロン帝国によってユダヤの国は滅ぼされ、貴重な神殿の財宝とともに、王と国民は奴隷として連れさられました(バビロン捕囚)。しかし有能なユダヤ人たちは異国の地でも頭角を現し、政治的にも学問的にも用いられました。とりわけユダヤ人の精神的支柱であった旧約聖書は尊ばれ、旧約聖書の多くの預言が知識人を中心に知られていたという背景がありました。ですから博士たちは、旧約聖書に記されているユダヤ人の王、つまり約束されているメシアが本当に誕生したのか、会って確かめよう。預言がまことかいなか、神のことばの確かさを確かめようとしたのでした。だから長旅も苦にはなりませんでした。
聖書はあなたが人生をかけるに価する書物です。あなたの人生を導く、なくてはならない羅針盤としての役割を果たします。聖書の約束に人生をかけてあなたも歩み続けましょう。
2. 世の導きではなく星の導きに従った博士たち
都エルサレムのユダヤ王の王宮を訪ねた博士たちは、王に挨拶し「王の誕生を祝うために来た」告げました。博士たちのことばに、ヘロデ王は内心、怒りと恐怖を覚えました。すぐさま王宮のおかかえ御用学者たちに預言のことばを調べさせ、誕生の場所をベツレヘムと突き止めました。エルサレムからベツレヘムまでは約8km、一直線の街道なので、道に迷うことはありません。しかしヨセフとマリヤはすでに出産を終え、産後の養生を兼ねて「一軒家」(oikian)に移り住んでいましたから、その場所を探し出すのは困難でした。さらに両親はエルサレム神殿を訪れ、イエス様を神様に捧げる儀式を行っていましたから、2-3か月は経っていたと思われます。宿屋(kataluma)の数なら限定されますからわかりやすいですが、普通の家となるとそうはいきません。その時、あの不思議な大きな星が再び現れて、救い主キリストが宿る家まで博士たちを導きました。
宇治市には教会が8つあります。訪ねることも自由にできます。しかしその教会にやがて通うようになるのは、旧約聖書的表現をすれば「星の導き」があったと表現できるのではないでしょうか。星の出現そのものが不思議といえば不思議ですが、私たちが多くの教会がある中で、この教会に導かれ、通い続け、神の民として礼拝をともに捧げ、信仰の家族として人生をともに歩むこと、このことも不思議なことです。ポストにあった一枚のチラシ、電柱につけられていた1枚の教会の看板、窓から見た教会の十字架の光、それがキリストに導くあなたの星となったのではないでしょうか。あなたが誰かの星となったかもしれません。その背後には、あなたを愛してやまない神の愛と深い御心があったのです。
「測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。」(詩篇16:6)
3. まことの礼拝者たち
救い主イエス様の誕生を祝って賛美したのはおびただしい天の軍勢でした。続いて貧しい羊飼いたちが宿屋の家畜小屋の飼い葉おけの中で眠るイエス様を礼拝しました。彼らは社会的に差別されていましたが生粋のユダヤ人、つまり神の選びの民の一人でした。続いてペルシャの国から博士たちが訪ね、礼拝と高価な贈り物をささげました。こうして、天の御使いも、神の民であるイスラエルも、世界中のあらゆる国々の人々も、みな一つとなって、神の御子キリストを礼拝するために招かれたのでした。彼らに共通しているのは、こころからの礼拝でした。ヘロデ王は博士たちに、「わかったら知らせてもらいたい。私も拝みに行くから」(8)と心にもないことを言いました。もうこのときから、ベツレヘムで生まれた2歳以下の男子を皆殺しにしてしまう恐ろしい悪魔的な計画を立てていたのです。
イエス様はのちに混血児が多く住むサマリアの地で、6人目の夫と同棲生活をしている女性を信仰に導きました。イエス様は、彼女に対して「尽きることのない永遠のいのちに至る水」(ヨハネ4:14)は、神の御子イエスキリストを通して、霊と真をもって父なる神を礼拝する中から湧き出ることを教え導いたのでした。
「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」(ヨハネ4:23)
神の御子イエスキリスト、このお方はユダヤ人の救い主であるだけでなく、サマリア人にもペルシャ人にも、すべての異邦人の救い主でもあることを明らかにしています。さらに、すべての人々が、神の御子の前にひざまずき、ひれ伏して「王の王」として崇める日が来る「御国の王」であることも示唆しています。やがてキリストがふたたびこの世界に来られる再臨の日には、世界中の神の民が、キリストの御前にひれ伏し、「主の主、王の王」とキリストを賛美し、すべての栄光を帰することでしょう。
「恐れるな、わたしはあなたと共におる。わたしは、あなたの子孫を東からこさせ、西からあなたを集める」(イザヤ43:5)
神様ご自身が世界中から、まさに西からも東からもご自分の御国の民を呼び集めておられます。宣教とは、「神の招きの御業」なのです。私たちはクリスマスにハレルヤコーラスを賛美することを教会の伝統にしています。これからも継続してまいりましょう。それは次のみ言葉が成就する前祝のときでもあるのです。「それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」(ピリピ2:10-11)
さあ、次週のクリスマス礼拝を喜びをもってささげましょう。
「今日、ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主キリストです」(ルカ2:11)