2023年7月23日 ルカ21:20-28
台湾から10名の学生が飛行機に乗り3時間のフライトで日本に来ました。今日から3週間の日本語研修と教会訪問のツアーが始まります。猛暑の中、健康が守られますようにお祈りください。今日の聖書個所は、キリストは輝かしい栄光を帯びて雲に乗って、天からこの世界に再び来られるという、主キリストの再臨を告げる箇所です。人間は飛行機に乗り空港から離着陸しますが、キリストは雲にのり、つまり輝かしい神の臨在、栄光と威光と尊厳と力に満ち満ちて、天から再びこの世界に来られます。
今日の箇所では、2つのキーワードが記されています。「異邦人の時が終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます」(24)と、「人々は・・・人の子が力と輝かしい栄光を帯びて、雲の乗ってくるのを見る」(27)です。
前者はエルサレムの崩壊、後者はキリストの再臨を指しているといわれています。
1.不滅のエルサレムの崩壊
20節-24節は、エルサレムの都とユダヤ人の生活と信仰の中心であった神殿の滅亡の予告です。先週、学んだように将軍ティトス率いる第10ローマ軍団によってエルサレルは完全に包囲されました。食料などを遮断する兵糧攻め戦術をローマ軍は選択したため、城内では病気と餓死による死者数が増え、ついにAÐ70年、総攻撃を受けて神殿は炎上(8月)、続いて城壁が崩壊(9月)しました。資料(ヨセフスのユダヤ戦記)によると、死者数は110万人を超え、生存者9万7000人は奴隷としてローマに連れ去られたと記録されています。イエス様が「山へ逃れよ、都から脱出せよ、都に近づくな」(21)と勧告されたにもかかわらず、多くのユダヤ人が援軍として都に駆け付けたり、神殿の中に逃げ込めば安全だと考え、籠城しましたが、結局は悲惨な最期を迎えることになりました(23-24)。イエスの言葉に従った者は命を得、従わなかった者は命を失ったのです。
クリスチャンたちは神殿に固執したり、絶対化したり、偶像化しませんでした。キリストの名のもとに集い、「霊とまことをもって神を礼拝する」(ヨハネ4:23)ことこそ、新しい真の礼拝であるを知っていたからです。
歴史的には、およそ2000年後、1948年5月14日のイスラエル建国・独立宣言によって、異邦人による支配は幕を閉じ、新しい時代が始まりました。とはいっても、イスラエルとアラブ諸国の間では今なお激しい戦闘が繰り広げられていることを私たちは知っており、エルサレムの平和のために祈り続けています。
2. キリストの再臨
25節-28節は、ユダヤ国家の滅亡と重ねあわせて、全世界の終末(終わりの時)について預言されています。これは聖書独自の2重預言と呼ばれています。字義通りの光景か黙示文学的な象徴的光景か学問的には解釈がわかれます。確かなことはわかりませんが、、人間が住むこの世界に、従来に見られないような大きな環境変化が前兆として現れることが記されています。「天の万象が揺り動かされる」(26)とは一体どんな事態なのか想像できません。しかし、温暖化による気温上昇で集中豪雨や干ばつなど、異常気象は全世界で見られ、それゆえ地球規模での取り組みが国連においても真剣に検討されています。私たちも地球が「痛んできている」「うめいている」と実感しているのではないでしょうか。
私たちキリスト者は、こうした終末の予兆の後に、「キリストの再臨」があることを知っています。古い世界は自然災害や核兵器を用いた戦争で滅びるのではなく、不信仰のゆえに神の最終的な審判によって滅びると聖書は警告しています。どこかの核保有国の大統領が最終的に押す「核ボタン」で滅びるのではなく、キリストが約束通りもう一度この世界の戻って来られる再臨によって、新しい世界へと刷新されることによって、失われると教えています。
世の人々は、キリストの再臨は「荒唐無稽なバカげた妄想」とあざ笑うことでしょう。世の多くの人々は、救い主キリストの救いも、十字架による罪の赦しも、復活のいのちも、神の国の存在も地獄の存在も全く信じようとしませんから、キリストの再臨によって始まる、新しい神の国の創造なども「キリスト教独自の神話」「おとぎ話」としかとらえていません。
しかし、私たちは信じています。キリストが栄光に満ちた姿で、力と栄光を帯びて、再びこの世界に天から来られる日を。この日を全世界の教会が待ち望んでいるのです。その日は、古い世界が一新され、キリストが王としてご支配される御国が到来する、救いの完成の日だからです。
ミャンマーから来日し、宇治教会に集っているカーリー兄弟が、先週の礼拝で、ミャンマーのバプテスト教会の様子を写真で見せてくださいました。国民の9割が仏教徒でありながら、イギリス統治下にあった関係でキリスト教徒も教会も多く、人口の8.7%(リバイバルジャパン紙)を占めているそうです。アメリカのバプテスト派宣教師アドニラム・ジャソソン宣教師の40年間にわたる働きが大きな影響力を残し、ミャンマー教会の半数はバプテスト教会とのことでした。
今日、台湾から4名の学生を迎えていますが、台湾もクリスチャン人口は7%といわれています。日本と同様、土着の民間信仰や先祖崇拝が主流となっている文化の中でそれでも7%ものクリスチャンがいます。かつて英国から派遣された宣教師によって始まった台湾基督長老教会が台湾では最大の教派となっています。 ミャンマーのクリスチャンも台湾のクリスチャンも、韓国のクリスチャンも、もちろん日本のクリスチャンも、キリストの再臨を100%信じています。キリストが再びおいでになるという約束を待ち望んでいます。
「こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」(使徒1:9-11)
「ガリラヤの人たち」とは、ガリラヤ出身の弟子たちを指すだけでなく、キリストを信じるすべてのクリスチャンと教会を指しており、彼らへの普遍的な約束なのです。
さらに、「全地の表に住むすべての人々」(35)にこの日は臨むことになります。したがって、世界中の人々が同時にキリストのご再臨を見ることができるのです。インターネットが急速に発展し、世界中の人々が同時に1つの光景を見ることができる時代に私たちはすでに突入しています。以前には考えられなかったことが、今は可能になっているのです。
キリストの再臨は、古い不信仰な世界にとっては「滅亡」(20)という終わりを意味しますが、キリストにあっては「あなたがたの贖い、救済が近づいている」(28)とあるように救いの時を指しています。いよいよ「神の国が近づいている」完成の時のでもあり、大いなる希望のときでもあるのです。
激動の時代といわれる今日です。この先、どうなるのどろうかと、不安を覚えることが多くあるかもしれませんが、キリストにあって恐れることはありません。主とお会いできる日を心待ちに、準備を整え、待ち臨みましょう。
新約聖書の結びの言葉は、キリストの再臨を待ち望む祈りとなっています。
「これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。」(黙22:20-21)