【福音宣教】 地上の大祭司と永遠の大祭司

20230917 地上の大祭司と永遠の大祭司イエス ルカ2247-53

ゲッセマネの園で祈りぬかれたイエス様の前に、いよいよユダが現れ、敵対者たちの手にイエス様を引き渡そうとしました。今まで1時間でさえイエス様と共に祈ることができず、眠りこけていたペテロは(ヨハネ1810)ここぞとばかり俄然張り切って、大祭司のしもべ(名はマルコス)に短刀を振りかざし切りつけ、右の耳を切り落としてしまいました。

「主よ、剣で打ちましょうか」(49)とイエス様に尋ねたものの、返事も聞くまもなく、彼は感情的にとっさに暴力をふるってしまいました。

イエス様はすぐに耳を切り落とされたしもべを癒されました(51)。そうしないとペテロ自身が兵士たちに切り殺されてしまう事態に陥ってしまいかねないからです。ユダが引き連れてきた一行の中には宮の守衛長すなわち神殿警備兵(52)や千人隊長率いる武装したローマ兵(ヨハネ1812)がいたからです。癒しはいつでも暴力にまさります。マタイが「あなたの剣をもとのところにおさめなさい。剣を取る者は剣で滅びる」(マタイ2652)と命じたイエス様の言葉を書き記していることを忘れてはなりません。暴力は暴力の連鎖を生み、怒りは復讐の連鎖を新たに生みだします。祈りと癒しと赦しこそが、暗闇の中に光をもたらすのです。

1. 地上の大祭司と永遠の大祭司

さて逮捕されたイエス様は、これから二人の大祭司(前の大祭司アンナスと現大祭司カヤパの邸宅での非公式な尋問)、早朝に急遽開かれた公式の裁判であるユダヤ教宗教議会(大祭司を議長とする70人の代議員からなるサンヒドリン)、ローマ総督ピラト、ユダヤの領主ヘロデ王、ふたたび総督ピラトの前に連れ出され、ローマ法に則った裁判を受け、十字架刑が確定することになります。イエス様は大祭司アンナスの邸宅に連行され、ついでカヤパの邸宅に連行されました。その様子がマイ26:57-66に詳細に記されています。

アンナスは引退したものの政治的な影響力を持つ前職の大祭司、カヤパはその甥にあたる現職の大祭司でした。大祭司はレビ族アロンの家系に属する最年長者が世襲的に受け継ぎました。したがってアンナスはカヤパの舅にあたる人物でした。大祭司は、神の意思(みこころ)を民に伝え、年1回の贖いの日に至聖所に入り、民を代表して、いけにえのやぎの血を契約の箱の贖いのふたにかけ、全イスラエルの罪の贖いをしました。またユダヤ教の最高議会である70人の代議員からなるサンヒドリンの議長を務めました。もっともイエス様の時代にはローマ政府の指示に従順な者が大祭司職に任命されたといわれていますから、かなり世俗化していたようです。

いずれにしろ、地上の権力を持つ二人の大祭司の前に、永遠の大祭司であるイエスキリストが対峙している構図を私たちはここに見ることができます。人間にすぎない大祭司と神の御子である大祭司イエスが向き合っているのです。大邸宅に住み、きらびやかな衣服を身にまとい、贅沢をきわめ、世的な権力を持つ大祭司アンナスとカヤパの前に、連行されてきたのは、両手を縛られた無力なナザレのイエスでした。しかし住む家もなく、何も待たず、貧しい人々の友となり、わずかな弟子たちとともに、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」とユダヤの町々村々を行き巡ったナザレのイエスこそが、永遠の大祭司となられ、罪人の唯一の仲保者となって、父なる神に執り成しの祈りをささげ、神との和解と救いに導かれるお方であると聖書は語っています。

「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。」(へブル724-25

罪人にとって必要なのはもろもろの大祭司たちではなく、ただ一人の永遠の大祭司だけで十分です。宗教改革者たちは、「キリストのみ」というプロテスタント3大原理を打ち立てました。ユダヤ教の大祭司も、キリスト教のローマ法王も神の母マリヤをはじめとする聖人たちの功徳と執り成しももはや不要であると断言しました。さらに、イエスを救い主と信じ、神と人とをつなぐ唯一の仲保者であると告白するすべて信徒たちこそ「祭司」であり、執り成しの祈りももって神に奉仕をささげることができると「万民祭司」の真理を打ち立て、ローマカトリック教会の世界をくつがえしました。

2. 罪ある者を招いてくださる大祭司

兵士たちはイエス様を大祭司カヤパのところへ「連れて行った」とあります(57)。これは「無理やり、力づくで連行する」という意味だそうです。権力者でもあるこの世の大祭司は力づくでイエス様を連行し、権力の前に膝まづかせ、屈服させようとしました。ところが、永遠の大祭司であるイエス様は、永遠の愛をもって招かれるに値しない卑しい小さな者たちを招いてくださいます。力によって支配するのでなく、愛によって解放と自由へと導いてくださいます。イエス様は「すべて重荷を負っている人は私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ1128)と招いてくださいました。しかもその招きの背景には、神の愛と選びが先行していることを、パウロは解き明かしています。

「神は永遠の愛をもって私たちを選び・・みこころのままに・・愛をもってあらかじめ定めておられたのです」(エペソ14-5)と。なんと幸いなことでしょう。

3)あなたこそ神の御子キリスト

尋問の場で黙秘し続けるイエス様に対して、苛立った大祭司カヤパは、「生ける神の名によって命じる。あなたは神の子キリストなのかどうか。その答えを言いなさい」(マタイ2663)と圧力をかけてきました。大祭司として「生ける神の前で命じる」という言い方は、従わなければ神から呪いを受けることは避けられないと脅しているのです。その時、イエス様は沈黙をやぶり、「あなたの言う通り」(64)と静かにしかし毅然と答えました。

「あなたは神の子キリストです」とは、ペテロがかつてイエス様に対して告白したことば(マタイ1616)と同じです。信仰に堅く立ち、聖霊に導かれてペテロは告白しました。さらにイエス様は、キリストは天の御座に着き、神の栄光を帯びて再び地上に来られると「再臨」についてもはっきりと宣言しました。永遠の大祭司であるイエス様は、神のご計画のすべてを語ることができました。神の御子は永遠の真理を語りますが、地上の大祭司は全く理解できませんでした。十字架のつけられ、むごたらしく殺されていくメシアなどありえないと決めつけていたからです。したがって、大祭司カヤパは、「これこそ神への冒涜である」(65)とイエス様を断罪しました。無知による悲劇としか言いようがありません。

イエスとはだれか?「あなたこそ生ける神の御子キリスト」、真の大祭司とはだれか?「十字架で死なれ、3日後によみがえられ、神の右の座に着かれた方こそ、唯一の永遠の大祭司である」。

このような信仰の告白へと聖霊によって導かれたことを心から神に感謝しましょう。そして、信仰と愛をもって、万民祭司の一人として、執り成しの務めにいそしませていただきましょう。 

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