【福音宣教】 救い主の誕生 アドベント第四週

「御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカ210-11

1. クリスマスは、救い主イエスキリストの誕生日です。
年を取ると物忘れが多くなり、人の名前が出てこない。お誕生日を間違えて「おめでとう」と伝えて、「今日じゃないですよ」と言われてすごく気まずい思いをしたことがあります。最近は、クリスマスをサンタクロースの誕生日と本気で間違えている子供もたくさんいます。ある牧師は、「教会でもクリスマス会をするんですか」と言われて面食らったそうです。イエスキリストは、今からおよそ2000年前ユダヤの国のベツレヘムと言う小さな村でお生まれになりました。本来ならば立派な王宮で生まれても当然でしたが、粗末な家畜小屋の中で産声をあげました。

当時、初代ローマ皇帝オクタビアヌスから人口調査をするため国民は生まれ故郷に戻って登録をすませよという命令がくだされたため、母マリアと許嫁のヨセフはナザレからベツレヘムまで170kmを超す長旅をへて、故郷に到着しました。しかし小さな村の宿屋はすでに満席で泊まることができませんでした。そこで急遽、寒さを防ぐため家畜小屋の中で夜を明かそうとしました。その夜、臨月だったマリヤは男の子を出産し、飼い葉に藁を詰めたベットに寝かせたのです。

これが世界で初めのクリスマスイブの出来事です。そこにはクリスマスツリーもケーキもサンタクロースもありませんでしたが、ついに神の御子がお生まれになったという大きな喜びと希望が輝いていました。700年前から預言されていた救い主が誕生したからです(イザヤ96-7)。

*天使が夜番をしていた羊飼いたちの群れに突然現れ、「素晴らしい喜びを伝えに来ました。今日、あなた方のために救い主がお生れになりました。この方こそ主イエスキリストです」(211)と伝えました。

救い主という言葉はヘブル語ではメシア、ギリシャ語ではキリストといいます。そして救い主の誕生を、「すばらしい喜びの知らせ」であると天使は告げました。英語では「GREAT JOY」と訳されています。もともとJOYGREAT HAPPINESSという意味があるので、ダブルグレートハッピネスともいえるほどの喜びを指します。(ちなみに、ギリシャ語メガレンは、尋常でない、大きな、偉大なという意味。カレンは、JOYで喜びや幸福の源という意味があります)。

*救い主の誕生を天使はこれほど大きな喜びといっているにもかかわらず、私たちはそんなに喜んでいないというギャップがあります。 神様が与えようとしている喜びと私たちがこの地上の生活の中で求めている喜びとの間にはいつも「ずれ」があるようです。この「神と人との間のずれ」が私たちの不幸や苦しみや悩みの原因になっていると聖書は教えています。「喜ぶものと共によろこび、泣く者とともに泣きなさい」(ロマ1215)と聖書は教えていますが、喜ぶ者をねたみ、嫉妬し、悲しむ者に無関心を装う、これを罪と聖書は読んでるのです。何よりもこの世での喜びや幸せはいつまでも続くものではなく刹那的で、すぐ壊れてしまいやすいものです。

2. さて、大きな喜びの知らせは、最初に、夜番をしていた羊飼いたちに伝えられました。

それにも意味があります。彼らが一番喜ぶことができたからです。こころからキリストの誕生をENJOY(楽しみ味わう)ことができたからです。なぜなら、この時代の羊飼いたちは、非常に貧しい最下層の労働者であり、ある研究者は、犯罪歴を持つ人々が街中では仕事が見つからず最後に羊飼いをしている場合が多かった。大人はチーズを買うとき以外には羊飼いには近づかなかった。親は子供たちに羊飼いには近づくなと教えていたと伝えています。無学で貧しいから税金も払えない、兵隊としても使いようがないため、ローマ政府が命じた住民登録の対象からも外されていました。彼らはローマ政府からもユダヤ社会からも役立たない存在、忘れられていた存在、捨てられていた存在、嫌われていた存在だったのです。世の中の人から相手にされない、孤独な存在ではないでしょうか。

何を食べても「ウメェ-」としか言わない、羊相手に、その日その日、食べて寝るだけの生活の中にどんな喜びがあるというのでしょうか。仲間同士でお酒を飲んで、ばくちをして遊ぶだけが楽しみであったのではないでしょうか。

*皆さんの中にも、わたしなど生きていてもしかたがない。いてもいなくても誰も心配してくれないし、たいした存在じゃないと思っているかたがいらっしゃらないでしょうか。仲間外れにされて悲しんでいる子供がいないでしょうか。社会にとけ込めなくて孤独に悩んでいる方がおらえないでしょうか。どっから来てどこへ行くのか、人生の方向性を見失ってしまっている方はおられないでしょうか。

羊飼いたちは、ほかならない「私自身でもある」のです。

でも神様は彼らを覚えておられ、まっさきに救い主キリストの誕生を天使を通して伝えることを選ばれました。最初にキリストのもとへ招こうとされました。大きな喜びを与えようとされました。なぜでしょう。神様は彼らを忘れておられなかったからです。彼らを愛しておられたからです。そして彼らもすぐに「さあ、お会いしに行こう」(215)とベツレヘムへと駆け出しました。救い主を見出し礼拝し、羊飼いたちは神をあがめながら賛美し、大いに喜んで帰っていった(20)とあります。

神様は大きな喜び、GREAT HAPPINNES の中に彼等を招いてくださったのでした。大きな喜びを心に与えてくださったばかりでなく、神の喜び、天使たちの大きな永遠の喜びのなかに招き入れてくださったのです。地上の喜びは尽きますが天の喜びは絶えることがなく、いつまでも続きます。

地上での生活には困難や苦難とともないます。孤独やさみしさやむなしも避けられませんがそれにまさる喜びのなかへ神は招いてくださいます。だから安心しましょう。恐れることはありません。

私は22歳の時、クリスマスを迎えました。以来51年間、キリストを信じ、神と共に生きる喜びに満たされています。

さあ、救い主キリストの誕生をご一緒に祝い、感謝しましょう。あなたの心にメリークリスマス!!


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