【福音宣教】 感謝と賛美をもって主の大庭に入れ

2024年の新しい日々が始まりました。 あけましておめでとうございます。 お隣同士、 新年の挨拶を交わしましょう

毎年元旦礼拝では旧約聖書の詩編 からメッセージを語っていますが今朝は 100篇からです詩篇100篇は全世界からエルサレムの神殿において礼拝をささげるために、ユダヤ国内からだけでなく、諸外国からも巡礼者たちが集ってきます。前半の部分は 巡礼者たちの喜びと感謝、 後半の部分は神殿の大庭で巡礼者たちを迎える祭司たちの感謝と賛美が描かれていると言われています。 今日は前半の部分を皆さんが朗読し、後半部分を私が朗読をする形で進めてまいりましょう。

礼拝する巡礼者たちも、迎えるエルサレムの祭司たちも共に礼拝を通して、喜び 賛美 そして感謝を深く味わっている様子を実感できたのではないでしょうか。

昨日の年末感謝 礼拝では改めて「感謝する」ことが、私たちの心身の健康に非常に良い結果をもたらすこと、幸福感を高め ポジティブな生き方を創造していくことを学びました。 慶応大学の熊野隆司教授は「感謝する人 掃除をする人 挨拶をする人。この人たちが最も幸福を感じている人たちです」と語っています。 またある心理学者は「感謝するために毎日、良いことを3つ日記に書くことを推奨しています。さらに感謝の内容には2つあると言われています。1つは良かったこと、よくしてもらったこと、良いことができたことを感謝するありかた。これはDOING の世界の感謝ですね。 もう一つは愛されていることを感謝すること、これはBEINGの世界の感謝です 。良いことがなくても生きていること自体が感謝なのですから。 「生きているだけでもたいしたもんだ」(北野武)

日曜日の朝ごとに私たちは今年もまた 拝を捧げてまいります

この詩篇100篇の前半の中心部分は3節 「知れ、主こそ神。主が私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である」

世界中からエルサレムの神殿の礼拝の巡礼者たちが集まって来ます。彼らの共通点は、 全世界 全宇宙の真の創造者である神を知っているということです。 虚しい偶像の神々から離れて、まことの神を信じたことです。さらに、 偶然たまたま自分がここに存在しているというのではなく、 「神の牧場の羊」として神のみ手で生かされ、養われていることを知った、そして信じた。 これこそが巡礼者たちの人生最大の喜びと言えます。 私たちの人生の最大の発見は「神を見出した」ことです。 「神発見」これが何よりも大きな心の喜びとなっているのです。 どんな「お宝発見」よりも価値がります。この心の喜びはあらゆる不安に直面しても、圧倒されに支配されない心の力となってまいります。

 詩篇の後半部分の中心は 5節です「主は慈しみ深く その恵みはとこしえまで、その真実は代々にいたる」

祭司たちは、巡礼者たちを神殿の大庭に迎え入れて感謝と賛美を捧げています。 巡礼者たちは礼拝を通して、創造主なる神と同時に「慈しみと恵みと真実」に満ちた神をより深く豊かに経験していくことへと招かれます。この「慈しみ」という言葉は、旧約聖書の中では「契約に基づく愛」を表しています。 真の神は愛なる神です。気まぐれで移ろいやすい、気分屋の神では決してありません。 一度誓った約束(契約)を最後まで完成してくださるお方、 これが神の恵みと慈しみ、神の愛の本質です。 たとえ私たちが神を忘れるようなことがあったとしても、神は決して私たちをお忘れにはなりません。だから 感謝がそこから溢れてくるのです。 先ほど言いました 感謝のには DOINGBEINGの感謝がある。何よりも大切なのは、私たちの存在そのものが「神に愛されている」ということを知った時から溢れる「いのちの感謝」ではないでしょうか 。幾多の試練の中で、神の約束への信頼が、もし揺らぐようなときがあれば、十字架を仰ぎましょう。十字架の中にこそ、神の愛は輝いているのですから。

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに神の愛が私たちに示されたのです。」(第一ヨハネ4:9)。

この1年間も 礼拝を通していよいよ、 神の慈しみ、恵み、真実、愛の深さを知り、 喜び、 感謝して歩んでまいりましょう 


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