8 使徒信条 題 「ポンテオピラトの下で苦しみを受け」 2004/7/25
苦難と平安
聖書箇所 ヨハネ16:33
「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって
平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。
しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」
使徒信条は、私達の主イエスキリストが「ポンテオピラトの下で苦しみを受けた」と告白しています。イエス様がお受けになられた苦しみは、ローマ総督ポンテオピラトのもとで裁判を受け、死刑判決が宣告され、カルバリの丘の十字架で処刑されたという歴史的事実に基づいています。古代ローマの資料に寄れば、ポンテオピラトは紀元26−36年までの10年間[1]、ユダヤ州の第5代目の行政長官として任官していた人物であり、性格的にはかなり横暴な行政官であったようです。
1 神の御心に伴う苦難
ポンテオピラトの下で受けられた苦しみとは、直接的には、ゲッセマネの園での逮捕から十字架刑に至るまでの一連の苦難を指しています。真夜中に開かれた不法な裁判、弟子の裏切り、鞭うちの処罰、真実が政治的にゆがめられた判決、兵士たちのあざけり、愚弄、罵声、イエス様のからだに加えられる数々の暴行、メルギブソン監督は「映画パッション」でこれらの残虐なシーンを描ききりました。あまりのむごたらしさにアメリカではお年寄りの牧師さんが映画館で上映中に心臓発作で亡くなられたそうです。さらにこれらの激しい苦痛の後、カルバリの丘での十字架の極刑が待っていました。想像を絶する肉体上の苦痛も十字架の刑罰のプロローグに過ぎず、身震いするような十字架の刑罰も、魂の永遠の滅びという究極の苦痛のプロローグにすぎませんでした。イエス様がお受けになられた十字架の苦しみのすべては、イエス様自身の罪のためではなく、私達、全人類の罪が赦されるための身代わりの苦悩であり死であったと聖書は証言しています。
「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、
私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、
あなたがたは、いやされたのです」(1ペテロ2:24)
イエス様がお受けになった十字架の苦難は、救い主としてのご自分の使命を遂行する上で避けて通ることができないものでした。ポンテオピラトの下での苦しみと十字架の身代わりの死がなければ、私達の救いはありませんでした。イエス様が十字架の上で受けられた苦しみのすべては私達すべての人間が罪と死から救われるために必要な苦難でした。まばたきの詩人と呼ばれた水野源三[2]さんは次のように語っています。「もしも、主なるイエス様が苦しまなかったら、神様の愛はあらわれなかった」と。
イエス様が受けられた苦しみの大きさはそのまま、神様の愛の大きさに他なりませんでした。一つの使命に生きようとするならば、そして真実な愛に生きようとするならば、そこにともなう苦しみを回避することはできません。苦しみの大きさは愛の大きさに通じてゆきます。それが聖書的な苦難の意味です。もし一つの使命と愛に心の底から生きようとするときには、人は犠牲や労苦を厭いません。なぜなら、苦しみそのものよりも心から願う真実な愛と使命そのものを大きな喜びとしているからです。
2 人としての避けられない苦しみ
ポンテオピラトの下で受けられた苦しみは、広い意味では、イエス様がベツレヘムの家畜小屋にお生まれになりカルバリの丘の十字架において33年半の生涯を歩まれたなかで経験されたすべての苦難を指すと理解できると思います。ポンテオピラトが歴史上の一人物であったように、神の御子も一人の人間となってお生まれになり、地上で33年半の生涯を歩まれました。このことは、人間である以上避けて通ることができないすべての苦難や苦悩というものを、人間となられたイエス様もご同じように経験されたことを意味します。
イエス様は貧しい大工の家に生れましたから「貧しさ」を知っておられます。父ヨセフがなくなった後、父親代わりに大黒柱となって働き、幼い弟妹[3]たちを養いましたから「労働の苦しみ」もわかっておられます。とても初歩的なことですが、その人が「貧しさ」を知っているか「働くことの苦しさ」を知っているか、それは人間形成や人格形成の上でとても大きな要素を占めていると思います。
「おしんのしんは辛抱のしん」という名せりふではじまるテレビ小説「おしん」は日本のみならず放映された貧しい東南アジアの諸国でもブ−ムになったそうです。豊かな国に生きる私たちが忘れてしまった大切なことが描かれています。貧しいから犯罪ばかりが起き、貧しいからみんな不幸になるのだとは限りません。確かに豊であるであることは貧しいことよりは幸せなことだと思います。しかしながら、むしろ貧しいからこそ物事を大切にする心が育ち、互いに譲り合い、一緒に分け合って使っていこうとする思いやりが養われることも事実だとおもいます。与えられたものへの感謝の心も豊かになります。私が子供の頃、よく母から隣の家に行ってしょうゆを借りてきて、煮物炊いたからちょっと持っていってと言われ手伝いをしたことを覚えています。母乳の出が悪かったので私は町内の知らないおばさんたちの母乳で育てられたそうです。今、こんな人間関係はもうみられなくなってしまいました。
働くことは決して楽ではありませんが苦しみは退屈で何もすることがないとつぶやいていることよりも多くの実を結びます。汗水ながして働いて手に入れたお金を浪費することは少ないでしょう。苦労して手に入れた収入には価値があります。 ある姉妹が自分で演奏の仕事をして最初の謝礼をいただきました。彼女の音楽家人生の最初の収入でした。彼女は私に喜びの気持ちをつづった手紙を添えて、感謝の心で神様にそれをささげました。彼女にとって生涯忘れることのできない尊いささげものとなったことでしょう。
母のマリヤは若くして夫ヨセフを亡くしました。父親を失った家庭の「絶望的な悲しみ」をイエス様は経験しておられます。母の悲しみ、幼い弟妹たちの淋しさもイエス様は理解することがおできになりました。死はどの家庭においても避けることができません。永遠のいのちをもっておられるイエス様ですが、父ヨセフの肉体の死を防ぎ、マリヤの悲しみを癒すことはなさいませんでした。そのかわり、愛する家族と共に涙をながされたのでした。イエス様は奇跡を起すことよりも、死の悲しみを家族が支えあってともに乗り越えてゆく道を選ばれました。
貧しさも労働の苦しみも病も死も孤独もすべてをイエス様は、その肉の性質において私達と同じように味わい経験されました。なぜでしょう、それは私達がこの地上で生きてゆく上で避けて通ることができない多くの苦しみに対する、深いあわれみと同情、必要な助けと励ましを与えるためでした。私達の弱さを理解し、父なる神様にとりなしてくださる永遠の大祭司となられるためでした。真の慰め主となられるためでした。聖書はこのように記しています。
「
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、
すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」(ヘブル4:15)
3 苦しみにまさる平安
イエス様はお弟子たちに、もし神様を信じるならば、悩みが消えますとは1度も教えていません。むしろ逆に、悩みは尽きないけれどそれでも元気を出すように励ましてくださっています。
「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。
わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16:33)
私達はどうしたら悩みがない人生、悩まなくてもいい人生をすごせるかと一生懸命考えます。ところがイエス様の教えは方向がまったく逆なのです。人生に苦しみは伴うものだ。艱難はある!とはっきり言われます。ここまではっきりいわれるとかえってさばさばします。苦しみを避けようとする努力がキリストにあっては意味がないことを学ぶことができるからです。神様が「ある」と言われることを「ない!ない!」と言いはってもナンセンスです。イエス様が世に打ち勝たれ勝利されたから、たとえ苦しみがあってもイエス様を通して平安が豊に得られるというのです。
「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。
恐れてはなりません」(ヨハネ14::27)
キリストを信じる者には、艱難もあるが同時に神の平安もあります。艱難がなくなったからその結果として平安が来るのではありません。艱難もあるがすでにそこには神の平安も存在しているのです。ですから艱難だけをみてすでにそこに用意されている神の平安を見落としてはならないのです。困難な中でも神の平安を見ることができるならば、恐れや不安に支配されてしまうことからも解かれることでしょう。数年前コロラド州デンバーでホームステイしました。標高1600mの都市です。さえぎるものがありませんから空を仰げば一面が空!です。夕方の西の空はまっかな夕焼け、真ん中は青空に白雲、東の空は黒雲に雷が光っていました。何でもありの広い空にとまどいました。東の空の黒雲だけを見ていてはコロラドの空の真実は語れません。それは一部にすぎないからです。
人生には困難、苦しみがともないます。苦しみを人間的にうまく避けることが解決方法ではなく、キリストの平安を受けることが真の解決です。この世にはキリストの平安よりも大きな恐れや不安などは決して存在しません。キリストは世に勝っておられるからです。キリストの平安に導きいれられることが勝利なのです。
私達の教会は今年に入り、礼拝出席の減少、献金額の大幅な減少といった試練に直面しました。順調に成長してきた宇治教会が味わう「危機」といってもよい状況でした。危機意識をもった役員さんは5時、6時まで話し合ってくださったことがたびたびありました。信徒のみなさんも何回か真剣な話合いを重ねてくださいました。私はそうした中に、イエス様のからだである教会を愛する信徒のみなさんの愛、神様に導かれ自分がその一員とされた神の家族である教会に対するそれぞれの愛を見させていただき、慰められ、励まされ、牧師である私自身が悔い改めさせられることが多くありました。
真剣に話し合って理解が深まり一致できたこともあれば、いっそう考えの違いがはっきりとしてくることもありました。意見の相違を超えてどのように神様の御心に近づいてゆくかこれからの私達の教会の祈りの課題であり仕事だと思います。このことは教会が教会としてほんとうに建て挙げられてゆくために学ばなければならない大切なレッスンだと思います。
私は役員さんに、信徒さんの意見を調整することよりも、役員としての自分の考えや意見や導かれたことを語っていただくようにお願いしました。話し合いの場で、信徒が他の人はどう思っているだろうか、こう言ったら周りの人はどう思うだろうかと、人間的に神経ばかり使って発言していては、上辺の発言が交わされるだけで、神様の御心をお互いが知ることができなくなるばかりだからです。ですからまず役員さんが自分が祈ったこと導かれていることを発言していただくようにお願いしました。各自が神様と語り合い教えられ導かれたことを率直に証しし、分かち合うこ。こうした話し合いや祈りこそが、教会堂を建てること以上に大切なことであり、イエス様の教会を建て上げる働きに他ならないと私は思ったからです。
連合の元理事長であった泉田昭先生が、「ピンチはチャンス」という言葉をよく話されていました。最悪の危機は最良の機会に通じるともよくいわれます。欧米では「クライシス=クライスト」、危機においてキリストと真実に出会うと言われています。私は「教会の危機は教会がキリストによって変えられる機会だ」と信じました。
そのために、私が信じなければならないことが一つありました。どんな意見もそれは、神様を愛し、教会を愛し、信徒を愛し、牧師を愛するからこその意見だと信じること。聖霊に導かれたクリスチャンが教会をさばき、牧師をさばき、信徒をさばくことなど、愛の御霊の御性質によればありえないことを信じることでした。そして、そう信じることで私自身がサタンから守られるという経験をさせていただきました。危機の中で、訴える者と呼ばれているサタンは「宇治教会の牧師を辞めてしまえ。20年も牧師をしていてその結果がこれなのか。何をしてきたんだ。お前は信徒から愛されていない。もう交替を求められているんだ。」と、何度もささやいてきました。何度もそのような霊的攻撃にさらされました。私の内なる試練でした。元来が自己否定的で内向きな私は、大きく心がたたきのめされました。
ところが、祈りの中で状況を話し、助けを求める度に、イエス様は繰り返し繰り返し、「私の羊を愛するか」と問いかけてこられました。そんなことばが聖書にあったかなと調べました。聖書の中でイエス様はペテロに「あなたは私を愛するか」と問いかけ、「私の羊を飼いなさい」(ヨハネ21:15)と命じている箇所はあります。しかし「私の羊を愛するか」ということばは見つかりませんでした。これはイエス様から私への個人的な呼びかけだと思いました。私はイエス様を愛しています。私は教会の牧師として20年間、羊を飼っています、養っています。でもそうじゃなくてイエス様は「私の羊を愛するか」と問いかけ続けてこられました。イエス様を愛するだけではなくイエス様の羊(信徒)を愛するか。飼うこと養うことではなく愛するかと問いかけてこられます。3月から4ヶ月近くイエス様は同じことを繰り返し語りかけてこられました。
イエス様は「愛すること」のみを私に求めておられます。イエス様の関心は他のところにはまるでないようでした。「愛すること」それがいつでもイエス様が願われていることであり、父なる神様の唯一の御心であることを私は知らされました。そしてあらゆる問題の答えもそこにあることを示されました。
しかし、私は自分にすっかり自信を失っていましたから簡単に素直にあなたの羊「愛します」と言えませんでした。愛してきたことが受け入れてもらえないならどうしたらいいのかわからないからです。これ以上何ができるんだろう、私にはわかりません。ですから、とうとう私はイエス様に「愛することを教えてください」と祈ったことを覚えています。イエス様はその祈りを待ってくださっていたようです。私には「わかった」とイエス様がうなずいてくださったように感じました。それから、私の心が軽くなり、とても自由になったのです。
週報のサイズを半分にして経費を節約する意見が出ればそれもいいじゃないか、奏楽者がいなければ無理なことを考えなくても、キ−ボ−ドなしのアカペラでもいいじゃないか、できなくなったことにこだわることはないと素直に受けとめられました。教会が小さくなったら小さいなりに最初からやればいいじゃないか。20年間の実績や積み重ねてきたものがあったとしても、今がゼロならゼロからスタートすればいいじゃないか。形にとらわれなくてもいいじゃないか。今時間借りしている礼拝の場所が使えなくなり、それまでに対策が間に合わなかったら堀池会堂に戻ったらいいじゃないか。20数人しか座れず、入りきれなくなったら広い会堂のある他の教会に信徒さんに移ってもらったらいいじゃないか。それでもこの教会がいい、ここが主が導かれた私の教会だと信じて残ってくださる信徒さんが多くいれば、その方たちと将来のことをいっしょに考えればいいじゃないか。
教会堂を神様にささげることは旧約のダビデ以来、神の民の大きな喜びなのだから、もし新しい会堂の話しが進むのであれば、話し合いやお祈りを大いに喜び楽しみ、できる限り精一杯ささげさせていただけばいいじゃないか。もし私に替わって新しい牧師が必要とされるなら喜んでお迎えできるように連合に働きかければいいじゃないか。そのときには心に決めている場所でまた開拓をさせていただけばいいじゃないか。そんな思いがつぎつぎと自由に平安に包まれてわいてくるではありませんか。不思議な思いがしました。
教会運営も大事な牧師の仕事ですが、最優先する私の仕事は「イエス様の羊を愛すること」と「失われた羊を訪ね求めてイエス様の下に導くこと」の二つ。もし、イエス様の羊の愛し方がわからなければ、羊の持ち主であるイエス様に教えていただくだけ、お聞きして従えばいいのだと思うようになりました。
そして相手が愛してもらいたいように愛することはもうしなくていい。そのような気をつかった人間的「サービスの愛」はもう必要がないと私は知りました。イエス様がみなさんを愛しておられるように、愛してゆけばいいと教えられました。イエス様がその人に願っておられることをイエス様から教えていただいてそのように愛すればいいのです。そう思うと心がとても平安になり、イエス様のことばの恵みを少しなりとも経験させていただいた思いがしました。
「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。
わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16:33)
ピンチはチャンスです。最悪の危機は最良の機会でもあります。目的と使命がはっきりしているならば、どんな労苦も労苦ではなくなり、深刻な危機もやがて嬉々とした感謝のときにかえられることでしょう。たとえ多くの苦難を経験したとしても、詩篇の記者のような感謝の祈りに導かれるならばなんと幸いなことでしょう。キリストの平安がその境地にきっと導いてくれることでしょう。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです」(詩119:71−72)
祈り
イエス様、私たちは苦しみの中には何の意味も価値もないと考え、少しでも楽になること、少しでも早く苦しみから逃れることを考えようとします。しかし本当の解決はイエス様が与えてくださる平安の中にあることを学びました。イエス様の平安がすでに用意されていることを信じさせてください。
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