特別説教 新型コロナ対策 5つのSの礼拝をささげるとき

2020年4月26日(日)  霊的な試練の中で新しい気づきを見出す喜び

1.教会の対応

新型コロナ感染拡大に歯止めがかからない中、全国に4月16日、「コロナ感染緊急事態宣言」が安倍首相から発表されました。さらに京都府は「特定警戒都道府県」にも指定されました。宇治教会では4月18日(土)に緊急役員会を招集し、「生命と安全」を重視して4月19日から5月3日までの礼拝をお休みとすることを決定しました。すでに4月からすべての平日の活動は自粛しており、さらに状況を考慮して延長する可能性も十分考えられます。宇治バプテスト教会では以下のような牧会的配慮と対応を講じます。

1)日曜日は今後、各自が家庭で礼拝をおささげください。午後3時までに教会ホームページ上に、説教原稿と説教音声を掲載いたします。メール登録者には週報も送ります。牧師の助けが必要な時は、ラインのビデオ通話による相談を受けます。

2)平日は礼拝堂を開けておりますので個別にお祈りに来てくださっても結構です。ただし、手指消毒、マスク着用で入室ください。複数信徒同士の30分以上の談話やすべての飲食は禁止とします。

3)聖書学校はライングループを活用した「WEB講義」をスタートさせ継続します。メンバーには火曜日午後1:50から招待通知をだします。 

このような状況は私も初めての経験です。改めて教会は本質において「公同の教会」であり、神に召された者たちが共に集い、ともに祈り、分かちあう「一つの共同体」「礼拝共同体」「礼拝の民」であることを実感させられています。雨のやまない日はありません。新型コロナ感染も必ず終息する日を迎えることでしょう。その日まで、長い試練と忍耐の日々となるかもしれませんが、ともに乗り越えてまいりましょう。主がともにおられるのですから、恐れることはありません。再び日曜日の朝、喜びをもって主イエスの御前に共に集って礼拝をささげ、食事を共にして交わり、祈りあう恵みの日を待ち望みましょう。

2. 信仰的な対応

さて、その日まで私たちはどのように信仰生活、さらに礼拝の民としての歩みをすることが、主のみこころにかなうことでしょうか。同志社大学教授の浜矩子教授は「新型コロナの襲来は天災だ。天罰だと思い込んで生贄(いけにえ)をささげなければならなどと慌てふためいてはいけない。・・・この悪夢的状況下での我々の身の処し方はどうすれば天眼にかなうようになるのだろうか」(毎日新聞4/19 天眼)と問いかけておられました。

私たちクリスチャンは長期にわたる可能性のあるこの信仰の試練に際して、落ち着いて、どのような礼拝をささげることが望ましいでしょうか。私は「5つのS」の礼拝をささげていくことを提唱したいと願っています。
5つの英語の頭文字Sから名付けました。

1. SIMPLE シンプル 簡素な礼拝

2. SILENT サイレント 静かな落ち着いた礼拝

3. SHORT ショート  短く簡潔でコンパクトな礼拝

4. SPIRITUAL スピリチュアル  霊的で落ち着いたみことば中心の深みのある礼拝

5. SERENDIPITY セレンディピティ 予想もしていない出来事の中に新しい発見や気づきを見出し、喜び、感謝し、感動する礼拝

この中で特に、セレンディピティな礼拝に注目していただきたいのです。あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、ノーベル賞受賞者がよく使うことばだそうです。「幸運な偶然を手に入れる能力」「偶然の出来事のなかでの意外な発見や気づきを得る」という意味のことばです。りんごが木から落ちる様子をニュートンが見て「万有引力の法則」を発見したり、水と炭酸を間違えてしまったことが「コカコーラ」の誕生につながったことなどもその代表例としてよく紹介されます。クリスマスイブに教会のオルガンの空気袋がネズミに食われて破れたため使用できなくなり、急遽ギターの伴奏で歌おうという提案の中で新しく生まれた讃美歌が名曲「きよしこの夜」。世界中で親しまれていることも良い例でしょう。

今回の新型コロナウィルスの世界規模の拡大はまさに想定外の思いもよらぬ出来事でした。確かに悪夢的状況とも表現できます。しかも、局地的で単発的で短期的というレベルではなく、世界的規模で感染連鎖は拡大し、長期的な危機的状況が続くと考えられます。私たちも礼拝堂に共に集うことや共に祈り交わることを自粛・中止しなければならないという信仰の危機、公同の礼拝の危機に直面しています。

しかし、こんなときこそ、家庭礼拝やWEBを用いての個人的礼拝を、セレンディプティな礼拝としてささげていく好機としましょう。

新しい発見や気づきや喜び、こんな感動が生まれましたという証しがやがて続々と誕生する、そんな恵みの時としましょう。家庭礼拝やWEB礼拝は、共に集う公同の礼拝にとって代わるものではありません。確かにすばらしい礼拝スタイルの一つではありますが、神の民が共に集う「公同の礼拝」の喜びにまさるものでは決してありません。感染が終息し、再びともに集う日を強く待ち望みましょう。

3. 日常生活の中の対応

礼拝だけではありません。ゴールデンウィークを迎え旅行や帰省などの大移動が始まる時機、政府や自治体は「ステイホーム」「おうちに居よう」と呼びかけています。外出自粛、出社規制、在宅勤務が進む中、家庭内のストレスが爆発してコロナ鬱、コロナ離婚、家庭内暴力、児童虐待、老人虐待が急増化しているという暗いニュースも耳にします。

だからこそ、ステイホームを「セレンディプティ」にとらえましょう。

いままで忙しくて時間がとれず片付けや整理ができなかった書類やごみや不要物を断捨離で整頓しましょう。せっかく買ったのに「積ん読」状態で読めなかった本を取りあげてじっくり読みましょう。家族と親しく語り合ったり、子供とたっぷり遊ぶ時間を持ちましょう。子供たちはあっというまに成長します。2度と取り戻せません。夫が妻から料理の手ほどきを受ける時間、妻が夫からパソコンの操作を教えてもらう時間など素敵ではないでしょうか。そうでなかったなら気がつかなかったこと、見落としていたこと、出会えなかったこと、新しい感動的な発見や喜びが身近なところに無限に隠されているのではないでしょうか。

平日、教会の庭に一人で足を運んでみませんか。色とりどりのハーブや小さな花が咲いています。誰にも愛でられることなく春を終える花はさびしそうです。切り花にしてお家に飾り、ハーブを摘んでアフタヌーンティーをするのも優雅です。

フランスのリール大学学長のルイ・パスツール教授は「偶然は構えのある心にしか恵まれない」と言ったそうです。たまたま運がよくてそうなったのではありません。セレンディプティは洞察力や「すべての出来事の中には意味がある」との信仰的理解から豊かに生まれてきます。そんなハートの持ち主に対して向こうからセレンディプティは「こんにちは」と出会ってくれます。私の尊敬する牧師は「ピンチはチャンス、人生のクライシスは人生でクライスト(キリスト)と出会う時」とよく言われました。宝物は多くまだまだ身近な中に隠されています。それを見出すのはあなたです。

さあ、あなたのこれからの家庭での礼拝や祈りの時を、5つの礼拝(SERVICE)の時、そしてなによりもセレンディプティな礼拝の時として豊かにすごしましょう。あの期間は私にとってすばらしい(SPLENDID)日々であったときっと喜びと感謝をもって証しできることことでしょう。

「真の礼拝者たちが霊とまことによって父礼拝するときが来ます。今がその時です」(ヨハネ4章25節)

              戻る