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気楽に生きよう 視覚障害とともに (社会人)

私の救いのみことばは、マタイによる福音書11章28節、『すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』

私はかつて、宇治市の少年少女合唱団に入っていて、歌が大好きな少年でした。そして、今も賛美するのが大好きです。

高校二年生の時、それまで少し心配していたのですが、修学旅行先でのオーストラリアで、夕食を食べにスカイレストランに行った時に、自分の席がわからなくなり、その時、初めて自分の目が見えなくなってきているということに気付きました。病院で検査した結果、「網膜色素変性症」という病名で、今の医学ではどうすることも出来ない難病であると言われました。それは、まるで敗北宣言のようなものでした。

検査入院をしている時、生きている意味がないと思い、飛び降り自殺をしようと病院の屋上に駆け上がりましたが、屋上には高い柵があって、よじ登ることが出来ず、私は生かされました。

国立神戸視力障害センターに入所し、マッサージの免許をいただいて、治療院に就職したのですが、色々なトラブル等があり、挫折いたしました。その時、何気なくつけたラジオが「世の光」で、先程の御言葉のメッセージが流れてきました。私にとって障害を持つということは重荷であり、白杖を持つことも、とても厭なことでした。人間は情報の八十%以上を視覚で得ると言われています。その目を失うのです。見えないことでのトラブルはたくさんありました。見えていないことがわからず、道で出会った人が会釈をしてくれても、私は気付かず、誤解をされたりしました。

そんなどん底の中にあった私に、このメッセージと聖書の出会いが与えられ、少し楽な気持ちになりました。障害を持っていてもいいじゃないか、障害は個性なんだと知らされました。どん底の中から、絶望的な中から、少しずつ希望が与えられていきました。

でも、私の家は熱心な真言宗の仏教徒です。私には仏教と決別する勇気も、教会に行く勇気もありませんでした。親はキリスト教に入るのはゆるさず、私は親に隠れて、ラジオはずっと聞いていました。

ヘッドホンの聴きすぎで、左の耳が聞こえなくなる聴覚障害の症状も出てきました。その頃には、白杖を持つにも抵抗が無くなってきました。というより、進行性の病気のため、生活する上で仕方がなくなってきたからです。ある時、スーパーで、四、五歳のお子さんを誤って蹴飛ばしてしまい、親御さんにひどく怒られてしまいました。

2004年の4月から、社会福祉法人京都ライトハウス身体障害者就労支援事業所FSトモニーに通わせていただいて、点字印刷の仕事をさせていただく中で、関西盲人宣教会との出会いが与えられました。その印刷物の中で、「わたしはあなたとともにいる。わたしはあなたを決して裏切らない。」という御言葉に出会い、もう一度キリスト教に戻ろうと決心しました。

今年は2007年、トモニーに通うようになって4年目になります。両親は反対し、風当たりはきついですが、仏教と決別しようと決め、教会にも行きたいと思うようになりました。音声パソコンを使って、インターネットが出来るようになったので、宇治市の教会を検索したら、宇治バプテスト・キリスト教会が引っかかりました。

ガイドヘルパーさんと一緒に教会に行くと、皆さんが私を暖かく迎えて下さいました。教会のアットホームな雰囲気がすごく良かったので、他を探すことは止めました。教会に通ううち、友達からそろそろバプテスマを受けたらと言われ、10月15日で30歳になり、障害者手帳をもらって10年、一つのくぎりだと思い、またSさんに点字の訳もしていただけるので、バプテスマを受ける決心をしました。

これからは神様に心をゆだねて、仮面をかぶらず、鎧を着込まず、弱いところをさらけ出して、自分の心に素直に歩みたいと思います。

最後に、以前観たドラマの中で聴いて、大好きになった言葉を紹介いたします。

「折れない心は 負けない気持ち、迷った時は、前を向け。」